汽車(今は山中 今は浜)

今は鉄橋渡るぞと 変わる景色のおもしろさ

「今は山中(やまなか)今は浜 今は鉄橋渡るぞと」が歌い出しの『汽車』は、1912年刊行の「尋常小学唱歌」第三学年用に掲載された文部省唱歌。

「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ」の歌い出しで知られる童謡『汽車ポッポ』についてはこちら

JR西日本岡山駅で、ホームへの電車接近を知らせる近接メロディにこの『汽車』の旋律が用いられているほか、JR東日本・常磐線広野駅でも発車メロディに同曲が使用されている。

【YouTube】男声歌唱による『汽車』

【YouTube】汽車(唱歌、今は山中)

歌詞:童謡・唱歌『汽車』

今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無くトンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら)

遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒(のき)
森や林や田や畑
後へ後へと飛んで行く

廻り灯籠の画(え)の様に
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里

作曲者について

作曲者は、新潟県にゆかりの深い音楽家・大和田 愛羅(おおわだ あいら/1886-1962)。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)声楽科を卒業後、東京の高等女学校の教諭、東京第一師範学校(現在の東京学芸大学)教授を歴任。主に合唱を通じて音楽の普及に尽力した。

ちなみに、『早春譜 そうしゅんふ』の作詞者として知られる吉丸一昌(よしまる かずまさ/1873-1916)は、大和田愛羅の東京音楽学校の恩師。吉丸は大和田の仲人も務めている。

作詞者について

作詞者については諸説ある。福島県双葉郡広野町の常磐線広野駅には、童謡・唱歌『汽車』の歌碑が昭和57年に建立されており、広野町公式サイトでは、常磐線開通の際に現在のいわき市久ノ浜から広野町の間の景観を大和田建樹氏が作詞した、と解説している。

『汽車』の一番の歌詞には「闇を通って広野原(ひろのはら)」というくだりがあるが、これを単に「広い野原」という普通名詞ではなく、福島県双葉郡広野町の「広野」を指していると解釈すれば、広野町の解説もしっくりくるだろう。

ちなみに、広野町は童謡『とんぼのめがね』誕生の地としても知られ、広野町下浅見川の築地ヶ丘公園(つきじがおかこうえん)内に『とんぼのめがね』歌碑が建立されている。

汽車・電車のうた

線路は続くよどこまでも
原曲の舞台は西部開拓時代のアメリカ。大陸横断鉄道の工事現場で働く工夫達の様子が描かれている。
鉄道唱歌 東海道編の歌詞 全文
汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
汽車ポッポ(兵隊さんの汽車)
歌のモデルとなった御殿場駅のホームでの風景とは?
汽車ぽっぽ (作曲:本居長世)
なんだ坂 こんな坂 お山の中行く 汽車ぽっぽ
夜汽車(いつも いつも とおる夜汽車)
静かな響き聞けば 遠い町を思い出す
乗り物のうた 乗り物に関する童謡・音楽
自動車、電車、バス、汽車、馬車、自転車など、乗り物に関する世界のうた・音楽まとめ

関連ページ

尋常小学唱歌 有名な唱歌
日本人の作曲家による日本独自の楽曲が用いられた文部省唱歌