フォスターを日本に広めた津川主一氏

19世紀アメリカ民謡の父 フォスター特集

フォスターの曲を日本に広めた影の立役者として、津川主一(つがわ しゅいち)氏について少し触れたい。もう30年以上前に亡くなっている方だが、彼の残した数々の訳詞は現在も歌い継がれており、今だその輝きを失っていない。

津川氏は、1896年11月16日に愛知県名古屋市で生まれた。父親は地元の教会の牧師で、津川氏は幼い頃から教会に足を運び、讃美歌や聖書に慣れ親しんでいた。

高校卒業後、牧師になるべく神学関係の学部に進学し、1921年(大正10年)には関西学院神学校を卒業している。上写真は現在の関西学院。

あの賛美歌も実は津川氏の訳詩だった?

卒業後の翌年には麻布美普教会の牧師となり、布教活動に尽力していくことになるのだが、中でも彼が特に力を入れていたのが「合唱」の普及だった。

津川氏は、帝国音楽学校、青山学院、文化学院、東京交響合唱団などで合唱指導を精力的に行なった。いくつかの讃美歌の日本語訳も手がけており、讃美歌103番「牧人ひつじを」、讃美歌第二編190番「み墓ふかく」などは彼の訳として讃美歌集などにその名が記されている。

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なお、津川氏が訳詞を手がけた代表的な曲は次のとおり。

1971年5月3日に亡くなるまで、津川氏は全日本合唱連盟理事、関東合唱連盟名誉会長を務めるなど、日本の合唱音楽の開拓者の一人として活動を続け、「合唱名曲選集」、「合唱音楽の理論と実際」、「教会音楽5000年史」、「合唱名曲全集」、「世界合唱曲集」などの多くの著作を残している。

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