唱歌の歴史 明治・大正・昭和
外国の民謡を翻訳した唱歌から、日本人の作詞作曲による唱歌へ
明治・大正・昭和にわたる日本の唱歌の歴史について、唱歌集に着目して年代別にまとめてみた。このページで取り上げた作品以外にもいくつか唱歌集が存在するが、唱歌の歴史の流れを把握するにはこれで十分だと思われる。
中でも重要なのは、明治初期に海外の民謡を取り入れた「小学唱歌集」と、日本独自の唱歌が誕生した明治末期の「尋常小学唱歌」の二つの唱歌集。
特に後者の「尋常小学唱歌」は、現代でもそのまま歌われている有名な唱歌が数多く掲載されている。
保育唱歌 1877-1882
「保育唱歌」は、東京女子師範学校の付属幼稚園のために、1877年から1882年にかけて宮内省式部寮雅楽部が作成した唱歌集。
雅楽由来の古めかしいメロディで、歌詞も古典的なため、幼稚園児が歌うには若干難解なものだっだと想像される。
掲載曲のうち、現代まで残っている有名な曲は『海ゆかば』と『君が代』(当時はまだ国歌ではない)。
小学唱歌集 1881-1884
「小学唱歌集」は、 1881年から1884年3月にかけて出版された、明治時代初期の翻訳唱歌集。文部省音楽取調掛の編纂による。
欧米列強の進んだ音楽教育を取り入れるべく、ドイツやスコットランドなどの外国民謡を原曲とする海外由来の唱歌が数多く取り入れられた。
日本の唱歌の歴史はここから始まったと言っても過言ではない。
有名な曲としては、『蛍の光』、『ちょうちょう』『むすんでひらいて』などがある。
幼稚園唱歌集 1887
「幼稚園唱歌集」は、文部省音楽取調掛(現:東京芸術大学)が1887(明治20)年12月に出版した幼稚園児のための唱歌集。
上述の『小学唱歌集』と同じく、掲載曲の半分ほどがドイツやフランスの民謡・童謡を原曲とした翻訳唱歌となっている(ドイツ歌謡が多い)。
有名な曲としては、上述の『小学唱歌集』にも掲載されていた『ちょうちょう』や『霞か雲か』のほか、『雀のお宿』、『蜜蜂(ぶんぶんぶん)』などが挙げられる。これらすべて外国曲。
『きらきら星』のメロディで歌う『うづまく水』が収録されているのも興味深い。
明治唱歌 1888-1892
「明治唱歌」は、1888年5月から1892年4月にかけて、詩人・作詞家の大和田 建樹(おおわだ たけき/1857-1910)と、『君が代』作曲者の奥好義(おく よしいさ/1857-1933)によって出版された全六集の唱歌集。
掲載曲は、海外の民謡やクラシック音楽(歌曲)を原曲とした翻訳唱歌が大半を占めている。
使われた海外の原曲のうち、現代でも有名な曲としては、『故郷の空』、『ローレライ』、『夏の名残のバラ』、『故郷の人々(スワニー川)』、『久しき昔(思い出)』、『アルプス一万尺』、モーツァルト『春への憧れ』などがある。
祝日大祭日唱歌 1893
「祝日大祭日唱歌」は、文部省が1893(明治26)年8月に公布した、祝祭日の祝儀のための唱歌集。
「年の始めのためしとて」の歌い出しで有名な『一月一日(いちがついちじつ)』や、『君が代』、『紀元節(きげんせつ)』、『天長節』などが掲載されている。
中等唱歌・中学唱歌 1889-1901
尋常中学校向けの音楽教材として、東京音楽学校の編纂により1889年に「中等唱歌集」が出版された。
掲載曲は、海外の民謡やクラシック音楽が原曲となっており、『埴生の宿(はにゅうのやど)』が今日でも有名。
1901年には東京音楽学校による尋常中学校向け唱歌集の第二弾「中学唱歌」が出版された。
「中等唱歌集」、「中学唱歌」が編纂された当時、東京音楽学校には瀧廉太郎(たき れんたろう)が在籍していた。
瀧廉太郎の代表曲『荒城の月』および『箱根八里』は、この『中学唱歌』向けに作曲された作品である。
国民唱歌 1900-1901
「国民唱歌」は、1900年から1901年にかけて、作曲家・教育者の小山作之助が編集した唱歌集。
小山作之助が作曲した唱歌、童謡、軍歌、校歌などの総作曲数は1000曲を越えるといわれ、瀧廉太郎(たき れんたろう)も小山を師事していた。
掲載曲では、小山の作曲による『夏は来ぬ』が特に有名。
幼年唱歌 1900-1902
「幼年唱歌」は、1900年から1902年にかけて、納所弁次郎と田村虎蔵の共編により出版された全十冊の唱歌集。
最大の特徴としては、これまでの古典的で文語調の歌詞から、子供たちが普段の日常会話で使うような口語的な歌詞に改められた「言文一致唱歌」となっている点が挙げられる。
納所弁次郎と田村虎蔵は東京音楽学校の先輩と後輩。いずれも作曲家で、納所が31曲,田村が32曲を担当した。外国曲も14曲含まれている。
日本の昔ばなしを題材とした作品が多く、『桃太郎』、『金太郎』、『浦島太郎』、『花咲かじいさん』、『うさぎとかめ』などが掲載された。
中等教育唱歌集 1907
「中等教育唱歌集」は、1907年(明治40年)に共益商社楽器店が出版した音楽教科書。
掲載曲のほぼすべてが、海外の歌曲やクラシック音楽などを用いた唱歌となっている。
有名な曲は、アメリカ歌曲を用いた『旅愁(りょしゅう)』と『故郷の廃家』の2曲が現代でも愛唱されている。
尋常小学唱歌 1911-1914
「尋常小学唱歌」は、1911(明治44)年から1914(大正3)年にかけて、文部省が刊行した全6冊の唱歌集。いわゆる「文部省唱歌」。
特徴としては、それまで主流だった翻訳唱歌から脱却し、日本人の作曲家による日本独自のメロディと歌詞が用いられている点が挙げられる。
第一学年用から第六学年用までの全6冊、各20曲で合計120曲が収録されており、『かたつむり』や『紅葉 もみじ』など、当時の掲載曲の多くが今日でも歌われている。
新訂高等小学唱歌 1935
「新訂高等小学唱歌」は、1935年に文部省が発行した高等小学校向けの唱歌集。 作曲は、信時潔や片山頴太郎ら東京音楽学校の教官が担当した。
掲載曲は、今日ではほとんど歌われる機会はない。
関連ページ
- 小学唱歌集 原曲の外国民謡
- 西欧の民謡をカバーした明治時代初期の翻訳唱歌集(当時の音楽教科書)
- 尋常小学唱歌 有名な唱歌 一覧
- 日本人の作曲家による日本独自の楽曲が用いられた文部省唱歌