ディキシー Dixie's Land

綿花畑が広がる故郷ディキシーランド 19世紀アメリカ南部の情景

「ディキシー(デキシー/ディクシー)」は、アメリカ南北戦争が始まる3年前の1859年にダニエル・エメット(Dan Emmett/1815–1904)が発表した曲。

1859年のアメリカといえば、フォスター歌曲「懐かしきケンタッキーの我が家」や「主人は冷たい土の中に 」などの曲が発表されてから間もない頃。

同年のニューヨーク・シティではミンストレル・ショーで早くもこの「ディキシー」が披露されていた。「ディキシー」はアメリカ南部を中心に人気の曲となり、アメリカ南北戦争では南軍のテーマ・ソング的に扱われていた。タイトルの表記にはバリエーションが見られ、"I Wish I Was in Dixie"、"Dixie's Land"、"Dixieland"、"Dixie" など様々。

【関連ページ】 北軍テーマソング 『リパブリック讃歌』

ちなみに、「ディキシーランド・ジャズ(Dixieland Jazz)」とは、ニューオーリンズ発祥のクラシカルなジャズスタイルを指す。ビックバンドジャズに比べ、6~7人以下の比較的少人数で編成される(写真:ニューオーリンズでのジャズパーティ/出典:Wikipedia)。

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歌詞の意味・日本語訳(意訳)

I wish I was in de land ob cotton,
Old times dar am not forgotten;
Look away! Look away! Look away! Dixie Land.

綿花畑が広がる大地
忘られぬ古き時代
瞳に映るはディキシーランド

In Dixie Land whar I was born in,
Early on one frosty mornin,
Look away! Look away! Look away! Dixie Land.

朝もやの中
ディキシーランドで俺は生まれた
瞳に映るはディキシーランド

フランスの影響が色濃く残るルイジアナ州ニューオリンズの街並み

「ディクシーランド」という言葉は、アメリカ南部の諸州を指す用語としても用いられる。語源は、ルイジアナ州がまだフランス統治下に置かれていた頃の10ドル通貨「DIX」(フランス語で「10」の意)とされている。

ルイジアナ州といえば、フランス統治時代の影響が現在でも色濃く残る町。首都ニューオーリンズに残るフレンチ・クオーター地区(上写真)の多くの建物は、ニューオーリンズがアメリカ合衆国に属する前のフランス植民地時代やスペイン植民地時代のもの。

19世紀後期から20世紀初期の建物も残っており、1920年代からフレンチ・クオーターの建築保護が法定化されている。

ちなみに、首都ニューオーリンズ(New Orleans)の地名は、フランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクの所縁の地「オルレアン」を語源としている。

アメリカ南北戦争に関連する曲

リパブリック讃歌
19世紀アメリカ南北戦争時に生まれたアメリカ愛国歌
ジョン・ブラウンの亡骸 歌詞の意味 John Brown's Body
『ごんべさんの赤ちゃん』原曲とされるアメリカ南北戦争時の流行歌
ごんべさんの赤ちゃん 歌詞の意味 遊び歌 原曲
ヨドバシカメラの歌・CMソングのメロディで歌う替え歌。原曲は『ジョン・ブラウンの亡骸』。
ジョニーが凱旋するとき
アメリカ南北戦争の北軍で歌われていた酒宴の歌『Johnny Fill Up the Bowl』のメロディに新たな歌詞をつけた楽曲。
ジョージア行進曲
『大きな古時計』を作曲したヘンリー・クレイ・ワークの作品。アメリカ南北戦争終盤の1864年に展開された、シャーマン将軍による快進撃「海への進軍」をモチーフとしている。
ヤンキードゥードゥル Yankee Doodle
18世紀アメリカ独立戦争の頃から歌われるアメリカ愛国歌。南北戦争でも。
オーラ・リー Aura Lee
アメリカ南北戦争が勃発した1861年発表。故郷に彼女を残して出兵していった多くの若い兵卒等に愛唱された
アメリカ南北戦争 有名な歌と歴史
19世紀アメリカで北部州と南部州が激突した未曽有の内戦