地蔵浄土 おむすびころりんのルーツ?
穴の先にはお地蔵さまが 地蔵菩薩は閻魔大王?
地蔵浄土(じぞうじょうど)とは、有名な昔ばなし「おむすびころりん」との関連が深い日本の古い民話・昔ばなし。
「おむすびころりん」では、お爺さんが穴に落としてしまうのは「おむすび(おにぎり)」だが、「地蔵浄土」では団子や豆粒であることが一般的。
また、「地蔵浄土」ではネズミは登場せず、代わりにお地蔵様とのやりとりでストーリーが進んでいく。
このページでは、民話「地蔵浄土」の典型的・代表的なストーリー・あらすじを紹介するとともに、関連が深い民話「ネズミ浄土」や「おむすびころりん」との関係について、それらと比較しながら解説してみたい。最後に私見を述べる。
1.団子や豆が穴に落ちる
典型的な「地蔵浄土」の冒頭では、お爺さんか団子や豆などの食べ物を穴に落としてしまう(勝手に落ちることも)。おむすびが登場するケースはほとんど見られない。
穴の開く場所は、「おむすびころりん」のように山の中とは限らず、自宅の庭や台所など様々なバリエーションが存在する。
落ちた食べ物を追いかけていくのはほとんどの場合お爺さんだが、お婆さんが追いかけていく民話もあるようだ。
このお婆さん版については、小泉八雲が執筆し明治35年に英文で出版された『お団子ころりん(The Old Woman Who Lost Her Dumpling. )』にその影響を見ることが出来る。
2.お地蔵様が団子を食べる
穴に落ちてしまった団子や豆を追いかけ、お爺さんが穴の中に入っていくと、その先でお爺さんはお地蔵さまに出会う。
話のバリエーションとしては、落ちてきた団子や豆をお地蔵さまが勝手に食べてしまうパターンや、お爺さんがお地蔵さまにお供えするパターンなど様々あるが、いずれの場合も、お爺さんはそのお礼(または詫び)を受け取ることになる。
良いお爺さんが、転がった団子の綺麗な部分のみをお地蔵さまにお供えし、自分は土で汚れた団子を食べる描写があるバージョンがあるが、おそらくこれが「地蔵浄土」の最初の姿だったのではないかと推測される(詳細は後述)。
3.鬼の宝を横取りさせる
落ちてきた食べ物を食べてしまったお詫びに、またはお供え物のお礼として、お地蔵さまはお爺さんに対し、鬼の宝を横取りさせる方法を伝授する。
その方法とは、深夜に鬼たちが集まってきたところで、夜明けを告げるニワトリ(一番鶏)の鳴き声をお爺さんに真似させて鬼たちを追い払い、鬼たちが慌てて置いていった宝をお爺さんに持ち帰らせるというもの。
「動物の鳴き声を真似る」というアクションは、「おむすびころりん」で悪いお爺さんがネズミの屋敷でネコの鳴き声を真似るシーンをほうふつとさせる。
なお、鬼から隠れる際、お地蔵様を足場に屋根裏へあがる場面があるバージョンがあるが、これが「地蔵浄土」の当初のストーリーに近い展開と思われる。
4.隣の欲張り爺さんが真似て失敗
一夜にしてお金持ちとなったお爺さんの様子を隣の欲張りばあさんが鋭く察知すると、自分の旦那(欲張り爺さん)にも同じ事をさせて金持ちになろうと企む。
同じ手順を踏もうとするが、欲張り爺さんのやり方は雑で粗暴。お地蔵さまに無理やり土で汚れた団子を食べさせたり、早く宝が欲しいがあまりに話を自分で勝手に進めようとする。お地蔵様への敬意や遠慮はまったく見られない。
欲張り爺さんも一番鶏の鳴き真似で鬼たちを追い払おうとするが、何度も同じ手を食らうほど鬼はたやすい相手ではなかった。欲張り爺さんのウソ鳴きはすぐに見破られ、鬼たちに捕らえられて酷い目にあわされてしまう(いわゆるバチ当たり・仏罰)。
お地蔵様=閻魔様?
最後に、民話「地蔵浄土」の意味するところについて、当サイト管理人の私見を述べることとしたい。
まず、食べ物が落ちる穴は冥界への入り口(奈落)、奈落の底で出会うお地蔵さまは、死者の霊を裁く地獄の閻魔(えんま)大王の暗示ではないかと推測される。
閻魔大王は日本仏教においては地蔵菩薩(お地蔵様)と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。
本来、閻魔大王は死者の生前の行いに基づき裁きを下すが、民話「地蔵浄土」では対象者が二人とも生きているので、現時点でのお地蔵様に対する接し方でその後の命運が分かれることになる。
落ちて汚れた団子をお地蔵さまにお供えする際、汚れたところをよけてお供えした良いお爺さんと、汚れもかまわず無理やり食べさせようとした強欲爺さん。
鬼から隠れるために屋根裏へあがる際、何度も遠慮しながら、自分の服で汚れた足を拭いてからお地蔵様に足をかけて上った良いお爺さんと、何の遠慮もなく汚い足でお地蔵さまに足をかけた強欲爺さん。
お地蔵様の裁きにより、良いお爺さんは宝を手にして極楽浄土へ、欲に目がくらんだ悪い爺さんは地獄の鬼(獄卒)による責め苦を受けることになる。
つまり、民話「地蔵浄土」の当初の姿は、世俗的な仏教説話としての意味合いを持っていた可能性が高いと考えられる。
そして、仏教説話としての肝の部分は、お地蔵様に対する態度の違いということになるので、落ちてきた団子をお地蔵さまが勝手に食べてお詫びするなどといった展開は、この説話の趣旨から外れた後世の創作ということがはっきりしてくる。
神仏習合、そして商業的な「おむすびころころ」へ
仏教と神道が混然となる神仏習合(しんぶつしゅうごう)が進んでいくと、仏教的な民話「地蔵浄土」に神道の要素が浸透していき、「地蔵浄土」は「ネズミ浄土」に上書きされていったと考えられる。
穴の先の地下の異世界は、日本神話の「根の国(ねのくに)」と同一視され、根の国に住むネズミ(根住み)が、「地蔵浄土」の地蔵に代わってお爺さんらの運命を左右する存在となる。
「ネズミ」は神道寄り、「浄土」は仏教寄りの概念なので、「ネズミ浄土」はまさに神仏習合の象徴的な形態の民話であるといえる。
そして現代に入り、「ネズミ浄土」は宗教的な意味合いを極力薄めた中立的な立場の民話に修正されていく。
宗教的なキーワードはタイトルから除外され、おむすびが転がっていくという子供ウケが良さそうなユーモラスな場面に焦点(商材としてのセールスポイント)が移され、今日の商業的な期待を背負った「おむすびころころ」が誕生していったのではないだろうか。
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