マルブルーは戦争に行く

イギリス軍の司令官が死んだとの誤報を喜ぶフランス軍

『マルブルーは戦争に行く Marlbrough s'en va-t-en guerre』は、18世紀に広まったフランス民謡。『マールボローは戦争へ行く』、『マルボロ将軍は戦争に行く』などの表記も見られる。

フランスと戦ったイギリスの初代マールバラ公ジョン・チャーチルについて歌われている。マールバラ公(下挿絵)は、マルバラ、マールボロ、マルボロなどとも表記され、フランス語の発音に近づけると「マルブルー」というカタカナ表記になる。

【YouTube】Marlbrough s'en va-t-en guerre

歌詞の意味・日本語訳(意訳)

Marlbrough s'en va-t-en guerre,
mironton, mironton, mirontaine,
Marlbrough s'en va-t-en guerre,
Ne sait quand reviendra.

マルブルーは戦争に行く
ミロントン、ミロントン、ミロンテーヌ
マルブルーは戦争に行く
いつ帰ってくるか分からない

Il reviendra-z-à Pâques,
mironton, mironton, mirontaine,
Il reviendra-z-à Pâques,
ou à la Trinité.

復活祭には戻ってくるだろう
ミロントン、ミロントン、ミロンテーヌ
復活祭には戻ってくるだろう
それとも三位一体の祝日だろうか

歌詞の内容は?

フランス民謡『マルブルーは戦争に行く Marlbrough s'en va-t-en guerre』の歌詞は20番以上ある長い曲となっているが、大半は同じフレーズが繰り返される部分なので、実質的にはそれほど内容があるわけではない。

歌詞の内容を要約すれば、心配する妻に召使いが「マルブルーが戦死(誤報)して、葬式も行われた」と語りかけるストーリーとなっている。

歌詞の中で「mironton, mironton, mirontaine, ミロントン、ミロントン、ミロンテーヌ」という不思議なフレーズがあるが、これは小太鼓を連続で叩く音のフランス語表現。英語では「ラタタ・ラタタ・ラタタ rat-a-tat, rat-a-tat」と表現される。

曲の誕生はスペイン継承戦争から

同曲が誕生したきっかけになったのは、1701年から1714年まで続いたスペイン継承戦争における、1709年に勃発したマルプラケの戦い(Battle of Malplaquet)でのこと。

マールバラ公(マルブルー)を司令官とするイギリス軍は、戦闘には勝利したものの、フランス軍の倍近い損害を受けてしまった。

そんな中、マールバラ公が戦死したとの誤報がフランス軍に伝わると、気をよくしたフランス軍兵士たちが「マルブルーは死んで墓に埋められた」という歌を流行らせたという。

18世紀後半には、ルイ16世在位のフランス宮廷で流行。中でもルイ16世の妻マリー・アントワネット(Marie Antoinette/1755-1793)が大変気に入って歌っていたそうだ。

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