バッハ: シンフォニア 第13番
かえるの合唱の原曲?

ヨーロッパで生まれた『かえるの合唱』のルーツに迫る

バッハが1723年頃に作曲した鍵盤楽器クラヴィーアのための曲集『インヴェンションとシンフォニア(Inventionen und Sinfonien)』BWV 772-801。

そのシンフォニア 第13番の中で、日本の童謡『かえるの合唱』の一部とよく似たメロディが登場する。「かえるのうたが きこえてくるよ♪」のあの部分が本当に聞こえてくる。

【試聴】 J.S. Bach - Sinfonia #13 (A minor)

これは単なる偶然の一致なのだろうか?それとも、日本の童謡『かえるの合唱』の側から見て、バッハ『シンフォニア 第13番』はその「原曲・ルーツ」とも言うべき関係にあるのか?少し考えてみたい。

なお、『かえるの合唱』原曲が日本へもたらされた経緯については、こちらのページ「玉川学園・岡本敏明とツィンメルマン博士」の解説を適宜参照されたい。

『かえるの合唱』はドイツ民謡?

バッハと『かえるの合唱』を結びつける大きな要素として、どちらも「ドイツ」に関連しているという点が挙げられる。

バッハの出生地はドイツ・テューリンゲン州アイゼナハ(Eisenach)。『かえるの合唱』は一般的に「ドイツ民謡」であると解説されることが多い(詳細は不明)。

バッハ『シンフォニア 第13番』が作曲された当時、原曲となるべき「ドイツ民謡」が存在したのかどうか、存在したとしてバッハがそれを参照したのかどうか、バッハによるオリジナルのメロディなのか。様々な疑問がわくが、これらを裏付けられる情報を筆者はまだ確認できていない。

これらの点については、ウクライナ民謡に基づくチャイコフスキー交響曲第2番の第4楽章にも『かえるの合唱』を思わせるメロディが繰り返し登場することを考えると、似たようなメロディは当時ドイツ周辺国に広まっていた可能性がある。

ただ、バッハの頃から歌詞があったのかどうか、あったとしてもその内容も定かではないが、恐らく当時は歌詞はカエルとは無関係だったように思われる。

カエルが歌詞の題材となったのは、恐らくドイツで市民による合唱運動が盛んになった19世紀に入ってからではないかと推測される(理由は後述)。

歌詞にカエルが登場した経緯とは?

19世紀のフランスやドイツでは、中産市民階級の台頭を背景に、世俗的合唱曲を中心としたアマチュア合唱運動が盛んとなった。

アマチュア合唱団のために多くの作曲家が世俗的合唱曲を書き、それらのほとんどは無伴奏かピアノ伴奏のみによる小品であったという(参照:日本大百科全書 ニッポニカ)。

アマチュア向けの合唱曲には、『静かな湖畔』や『フレール・ジャック』のような輪唱曲もあったであろう。輪唱はカノン様式を含めれば合唱曲として歴史ある形式。

一般市民や子供にも親しみやすい輪唱曲を作曲するにあたって、作曲者が何か親しみやすい題材を探すとき、輪唱のように交互に鳴くカエルを輪唱曲のモチーフとして選んだのだとしたら、それは作曲家として十分にあり得るアイディアだ。

さらに、輪唱曲のメロディについては、「輪唱ーカノン」というつながりで、カノン作品を多く残したバッハの楽曲のひとつ、『シンフォニア 第13番』のメロディがベースに用いられた、という想像もできる。

つまり、強引に考えれば、メロディでは「輪唱→カノン→バッハ」、歌詞では「輪唱→カエルの鳴き声」という流れで、バッハと『かえるの合唱』は運命的な出会いを果たしたのではないか。そうだったら非常に面白い。

学校教育を通じて『かえるの合唱』は日本へ

輪唱曲『かえるの合唱』は、スイスの学校教育研究者ツィンメルマン博士によって1930年に日本へもたらされた。

ツィンメルマン博士博士は学校での音楽教育教材として『かえるの合唱』を用いており、もしかしたら『かえるの合唱』は最初から児童・生徒向けの音楽教材として作詞・作曲された可能性もあるように思われる。

『かえるの合唱』原曲が日本に伝えられた経緯については、こちらのページ「玉川学園・岡本敏明とツィンメルマン博士」の解説を適宜参照されたい。

ヨーロッパで有名なカエルの歌

ヨーロッパで「カエルの歌」と言えば、『かえるの合唱』ではなく、『クラリネットをこわしちゃった』と同じメロディで歌う『小さなカエル』という曲が挙げられることが一般的と思われる。

小さなカエル』はスウェーデンの夏至祭でフォークダンスの曲として歌われることで有名。YouTubeではドイツ語版の子供向け動画もいくつか見つかるだろう。

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