梅に鶯 うめにうぐいす 意味・由来

詩歌や絵画で絵になる組み合わせから生まれた例え

「梅に鶯(うめにうぐいす)」とは、日本の詩歌や絵画における伝統的な「絵になる良い取り合わせ」または「仲のよい間柄」のたとえ。古代中国の漢詩に由来。

梅(紅梅)にウグイス

写真:梅(紅梅)にウグイス(出典:武蔵野の野鳥)

似たような例えとしては、「牡丹に唐獅子」、「竹に虎」、「紅葉に鹿」、「松に鶴」、「柳に燕」などの組み合わせがある。

これらは自然界において実際によく観察される組み合わせではなく、あくまでも詩歌や絵画における良い組み合わせ・ペアリングの例え。現実の風景でこれらを目にすることはあまりないだろう。

メジロをウグイスと勘違い?

ネットで検索すると、「梅に鶯」はメジロをウグイスと誤解・勘違いして生まれたとする解説がよく見られる。

確かに、実際に梅の木を見ると、ウグイスよりメジロをよく見かける。もし自然の観察結果に基づくことわざや格言を作るとすれば「梅にメジロ」とすべきだろう。

写真:メジロ(出典:平成和歌所)

しかし、この言葉はあくまでも詩歌や絵画の題材としての良いペアリング・マッチングから生まれた例えにすぎない。上述のとおり、自然の観察結果から得られた格言やことわざではなく、メジロをウグイスと誤解・勘違いした結果でもない。

あくまでも「梅に鶯」は、美しい声で早春を告げるウグイスと、美しい花で春の訪れを知らせる梅の木を、詩歌や絵画の題材としてペアリングさせると優美で絵になる素晴らしい組み合わせだ、ということを表した美しいマッチングの一例にすぎない。

そしてそこでは、「牡丹に唐獅子」や「松に鶴」のように、現実の自然観察の結果から導かれるリアリティはほとんど問題になっていないのである。

ルーツ・由来について

「梅に鶯(うめにうぐいす)」のルーツについては、古代中国の花鳥風月を詠んだ漢詩に由来するという。

国立情報学研究所の論文「『梅に鶯』の成立と変容」によれば、花鳥詩は唐の時代に盛んになるが、本場中国では「梅に鶯」の題材はあまり多くなかったようだ。

梅にウグイス

写真:梅にウグイス(出典:ブログ「物欲日記」)

詩歌における「梅に鶯」の題材は特に日本で愛好され、日本独自の発展を遂げた。すでに飛鳥時代には、日本最古の漢詩集『懐風藻』(かいふうそう)の中で、「梅に鶯」を取り入れた次のような漢詩が詠まれている。

素梅開素靨 嬌鶯弄嬌声

素梅、素靨(そよう)を開き、嬌鴬、嬌声を弄ぶ

<葛野王(かどののおう/かどののおおきみ/669-706)>

その後も『万葉集』で「梅に鶯」の和歌は複数詠まれたほか、空海や菅原道真などの漢詩私家集で「梅に鶯」を詠んだ例がみられる。

古今和歌集の「梅に鶯」

平安時代前期の『古今和歌集』(こきんわかしゅう)でも、「梅に鶯」を題材とした和歌が複数詠まれ、この頃にはほぼ「梅に鶯」のペアリングが定着していたようだ。

梅の花 見にこそ來つれ うぐひすの
ひとくひとくと 厭ひしもをる

<読人知らず>

ちなみにこの和歌の意味としては、梅の花を見にきたら、梅の木にいたウグイスが 「ひとく ひとく(人が来た、人が来た)」と嫌がった、というユーモラスな内容。

花札の「梅に鶯」について

花札(はなふだ)の絵柄に「梅に鶯(うめにうぐいす)」があるが、これについては見た目・デザインの特徴がメジロに近く、何も考えずに絵だけ見れば、これはウグイスをメジロと混同・誤解したのではないかとの疑念が生じる余地がある。

この点については、こちらの「メジロとウグイスを混同?本当に?」でまとめているのでご参照願いたい。

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