海軍時代のジョン・ニュートン

アメイジング・グレイスを作詞したジョン・ニュートンの海兵時代

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ジョン(当時19歳)が次の船出を待つ商船が停泊している港の周辺は、フランスとの戦争のためにいくつもの軍艦が臨戦態勢におかれていた。

当時のヨーロッパは、ハプスブルグ家を舞台にしたオーストリア継承戦争の真っ只中で、イギリス対フランスの植民地戦争にも発展していた。

イングランド・チャタムの港

写真:イングランド・チャタムの港(出典:wikipedia)

当時のイギリス海軍は、プレス・ギャング(the press gangs)と呼ばれる軍の強制徴募隊により、使えそうな若者を手当たり次第に水兵として軍艦に連行していた。

フランスとの戦争の真っ只中にあったイギリス海軍にとって兵の増強は急務であり、プレスギャングはいつも以上に港周辺で目を光らせていた。

彼女に会いに行こうと夢中になっていたジョンには、そんな周りのピリピリとした状況がまったく見えていなかった。

ジョンはちょうど商船に乗るための水夫の格好をしており、目立つ格好でフラフラと浮ついた気持ちで、プレス・ギャングの近くを通りかかってしまった。

すぐさまジョンは取り押さえられ、軍艦ハリッチ号(HMS Harwich)の水兵として強制連行。彼の運命は大きく動き出していくのだった。

海兵になったジョン・ニュートン

19歳の息子ジョンが海軍の徴兵隊「プレス・ギャング」に連行されたことを知った父親は、貿易船の船長をしていた頃のツテを使って、ジョンが連れ込まれたハリッチ号のカートレット船長(Captain Carteret)と交渉を試みた。

著名な船長の息子ということもあってか、さすがに下船までは許されなかったものの、海軍におけるジョンの階級を少尉候補生(midshipman)まで特別に引き上げてもらうことに成功した。

望遠鏡をのぞく子供たち

海軍に徴兵されたといっても一生出られないというわけではなく、ある程度の兵役を終えれば解放される予定だった。つまり、少尉候補生として大人しく海兵の役務をこなしていれば、ジョンの将来はまだ見通しがきく状態にあった。そのはずだった。

しかし、軍艦の上でも頭の中は彼女のことでいっぱいだったジョンは、手を焼いてくれた父親や船長の信頼を裏切るかのような行動に出たのだった。

脱走するジョン 三等兵への格下げ

ちょうどこの頃、オーストリア継承戦争から発展したイギリス・フランス間の植民地戦争は、東インド周辺にも及んでいた。

ジョンは、1745年の初頭に軍艦ハリッチ号が東インドへ展開することを知ると、彼は最低でも4~5年は戻って来れないことを直ぐに悟った。

5年近くも彼女に会えなくなることがどうしても耐えられなかった彼は、食料調達を命じられて船を離れた隙に、なんとそのまま脱走を試みたのだった。

しかし、彼の自由はたった2日間しか続かず、すぐに捕らえられて船に戻されてしまった。海軍において「脱走」は最悪の場合、処刑まであり得る重大な違反行為。

その処遇はカートレット船長の一存にかかっていたが、ジョンの父親との関係も考慮され、何とか処刑は免れた。階級を最低ランクの三等兵(Ordinary Seaman)へ格下げすることで、ジョンの脱走事件は何とか収拾したのだった。

どん底のジョンに訪れる転機

海軍において最低ランクの三等水兵に格下げされ、脱走歴のある下っ端として、以前よりも辛い兵役についていたジョン(当時21歳前後)だったが、彼の人生に大きな転機が訪れる。

ジョンが乗っていた軍艦ハリッチ号は、アフリカ南西の岬である喜望峰(the Cape of Good Hope)への長旅の準備のため、アフリカ北西海岸沖カナリア(Canaries)諸島の北方にあるマデイラ(Madeira)島に停泊していた。

その際、ハリッチ号の船員がギアナ商船から二人の腕のある船員を強制徴兵したところ、商船の方も人が少なくなるのは困るとのことで、代わりの船員を二人交換してくれと条件をつけたのだ。

マデイラ島フンシャルの町並み(ポルトガル領)

写真:マデイラ島フンシャルの町並み(ポルトガル領)。サッカー選手クリスティアーノ・ロナウドの出身地。コロンブスの生まれ故郷との説もあり。

ギアナ商船とのやりとりを見ていたジョンは、脱走による格下げで辛く厳しい待遇から逃れるため、交換要員の一人として自分を任命してもらうようカートレット船長に懇願した。うまくいけば割と早くイングランドへ戻れるかもしれないとの期待もあったようだ。

カートレット船長は、脱走歴のある三等水兵を厄介払いできるいいチャンスと考え、彼の必死の要望を受け入れた。ジョンは見事に軍役から解放されたのだった。

民間商船の使用人として新たな船出を待つジョンだったが、その先に大きな運命の荒波が待ち受けていようとは、この時の彼は知るよしもなかった。

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