グレイハウンド号と神の奇跡 ジョン・ニュートン

アメイジング・グレイス作詞のきっかけとなった奇跡的体験

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マネスティ氏がジョン救出に向かわせたグレイ・ハウンド号(Greyhound)は、黒人を乗せるための船ではなく、金、象牙、蜜蝋などを運ぶ一般の商船だった。

折角来てくれた迎えだったが、すでにジョンを取り巻く状況はかなり改善しており、新しいボスであるウィリアムス氏の下でのビジネスも順調であったため、ジョンはグレイハウンド号に乗ろうかどうか迷っていた。彼を迷わせていたのは、故郷のイギリスで暮らす彼女の事だった。

帆船と夕焼けの海

一方グレイハウンド号の船長は、ジョンを連れて帰ればマネスティ氏やジョンの父親から報奨金を貰えたため、「イギリスに帰れば年400ポンドの年金がもらえる」とウソまでついてジョンを説得しようとした。「乗客扱いにするから働かなくて済む」とさえ言ったという。

ジョンはこのウソを見抜いていたようだが、数年ぶりに彼女に会えるうれしさには変えられず、船長のウソに騙されたふりをして、グレイハウンド号に乗船しイギリスへ帰ることにしたのだった。

長旅で出会った書籍

ジョンを乗せたグレイハウンド号は、積んでいた商品の取引を終え、1748年1月にイギリスへ向けて出発した。

帰りの道のりは長く、700マイル以上の航路を何ヶ月も船の上で過ごさなければならない長旅だった。

聖書と十字架

その間、ジョンは船に積んであったスタンホープ(Stanhope)著「The Christian's Pattern」を手にしている。

この書籍はトマス・ア・ケンピス(Thomas a Kempis)が著した「キリストに倣いて(The Imitation of Christ)」をスタンホープが書き直したもの。

「霊的生活の有益なる勧め」、「内的生活の勧め」、「内的慰安について」、「聖体に関する敬虔な勧告」の4部から構成され、世俗の軽視・苦行・克己・献身の勧めをその内容としている。

心が荒んでいたジョン

この頃のジョンは、まったく神の存在を信じていなかった。それどころか、神を信じる周りの者たちをあざ笑い、からかい、神への冒涜を繰り返していたという。

幼い頃には、母親からある程度キリストの教えを受けていたジョンだったが、長い間海の上で荒んだ生活を続けている内に、見えないものを信じる豊かな心はいつしか失われていたのだった。

最初はほんの暇つぶしに何気なく読み始めたジョンだったが、その内容に次第に興味をひかれ始める。

神なんているわけがない。いないに決まっている。

でももしこの本に書いてあることが本当だとしたら?

彼の中にわきあがってくる心の声に、ジョンは慌てて耳を塞ぎ、また仲間との他愛のない笑い話に戻っていった。しかしこの時の彼の内なる疑問は、グレイハウンド号での出来事を通して、ある種の確信へと変わっていくことになる。

嵐に巻き込まれるグレイハウンド号

イギリスに向けて出発してから2ヶ月が経過していた3月の初め頃、グレイハウンド号の海路上を激しい西風が猛威を振るい始めていた。

嵐の海と帆船

ある晩、ジョンは突然の激しい揺れと、船室へ流れ込んでくる海水に驚いて、目を覚ました。

「船が沈む!」

誰かが叫んだ。甲板では、船員が激しい波にさらわれ海へと投げ出されていく。船体は激しく損傷し、強風に舵はきかず、船員が出来ることと言えば、必死になって海水を外に汲み出すことぐらいだった。

水を汲み出せど汲み出せど、激しい波を受けて破損した船体から次々と流れ込んで来る海水。もう沈没は時間の問題かと思われた状況の中で、彼らにとって運が良かったのは、積んでいた大量の蜜蝋(みつろう)や木材が水より軽く、それらが何とか壊れかけた船を浮かせるに足りる浮力を持っていたことだった。

強風がおさまって来たのは明け方の頃。しかし波はまだ依然として荒く、船員達は海に投げ出されないように自分の体をロープでしばりつけ、昼頃になってもまだ海水を必死になってかき出し続けていた。

船員達は少しでも漏水を食い止めようと、シーツや衣類をかき集め、破損した船体の隙間に詰め込み、上から板を打ち付けていく。

何時間作業を続けても一向におさまらない漏水に、誰もが最悪の状況を予感しつつも、ずぶ濡れでクタクタの心と体に鞭打ちながら、船員達は休むことなく懸命に体を動かし続けていった。

人生を振り返るジョン

ジョンは9時間以上の排水作業で疲れ切り、半ばあきらめたように横になり休んでいると、しばらくして船長から呼ばれて舵を任された。

彼は、荒れ狂う海原を前に舵輪を握りしめながら、ふとこれまでの自分の人生を思い起こしていた。

母親の死、父親との航海、彼女との出会い、海軍への連行、脱走、商船での苦難。母の教えを忘れ、父の期待を裏切り、軍役から逃げ出し、そして神を愚弄しあざ笑っていた自分。

沈み行かんとする船の上で、自分たちが助かるとすれば、もはや神の奇跡以外にはありえない。しかし僕のように罪深き人間を、神様はきっと許してはくれないだろう。

彼はそんな絶望的な思いを抱きつつも、最後まで諦めることなく、一縷の望みにかけて舵を握り続けていた。

訪れる神の奇跡

どのくらいの時間が経っただろうか。船員総出の努力の甲斐があってか、気が付けば漏水はおさまり、船の揺れも幾分穏やかになっていた。

真っ黒い雲間からは青空がのぞき、一筋の光が差し込んでグレイハウンド号を明るく照らし出していた。

沈没の危機をからくも脱したグレイハウンド号の甲板の上で、ジョンは自分が助かったことがまだ信じられず、ただ呆然と立ちつくしていた。

嵐の帆船と雲間の光

もちろん、まだ陸についたわけではなく、危険な状況であることには変わりはなかった。

しかし、絶望的とも思えた危機的状況を乗り越えたジョンの目は、まばゆい光の中で自分に手を差し伸べる神の姿が確かに映っていた。

僕はまだ生きている。今まで数々の不徳を繰り返してきたこの僕が。これが神の所業というものか?神はこんな僕を助けてくれたというのか?

大きな危機を一つ乗り越えた彼らだったが、もう一つの大きな問題の存在に気が付くまでそれほど時間はかからなかった。

沖へ流されるグレイハウンド号

沈没の危機を乗り越えたものの、「食料不足」という問題が彼らを更に苦しめた。船体の一部を破壊する程の強風と荒波により、家畜はすべて海に投げ出され、食料を入れた樽は砕けて中身が飛び散り、もはや食べられる状態ではなくなっていた。

夜の海と帆船

運良く残っていたのは塩漬けのタラと飲料水の樽。これらも少しずつ大切に摂らなければすぐになくなってしまう程の量しか残されていなかった。

どんなに節約したとしても、岸に着くまで食料が持つという保障はなく、風で更に沖へ流されてしまったらもはやそれまでという状況だった。

気が付くと、船はアイルランドの西方沖をただよっていた。遥か遠くかすみの中に、おぼろげながら陸らしきものが見えはじめていた。

しかし、食料や水が尽きる前に港へ辿りつかんとする船員達の願いもむなしく、沖へ沖へと吹き付ける風。なかなか港に近づけず、波間を漂っている間にも確実に減っていく食料。

折角必死の努力で嵐の中を乗り越えたのに、自分達はこのまま船上で飢えてしまうのではないか。船員達は不安と空腹と必死に戦いながら、最後の気力を振り絞って、船を陸へ近づけようとできる限りの努力を続けていた。

舞い降りる神の奇跡

そんな彼らの願いが神に届いたのだろうか。イングランド沖を2週間も風に流され、食料もまさに底をつきようとしていた。

船員達もなかば諦めかけていたその時、突然風向きが変わり、グレイハウンド号を静かに陸の方へ導き始めた。

雲間から差し込む神の光

穏やかな風は、壊れかけた船体を優しくいたわる様に、グレイハウンド号を港へと近づけていった。

嵐の日から約1ヶ月後の1748年4月8日、ついに彼らはアイルランド北部のドニゴール州スウィリー湾(Lough Swilly/Donegal)に命からがらたどり着くことができた。

グレイハウンド号が着岸したとき、船のキッチンでは鍋で最後の食料を調理していたところだった。

更に驚くべきことに、彼らが2時間前にいた風の穏やかな海上は、彼らの船が陸の近くの安全な海域まで達するや否や、嵐のような天候に一変した。

それはまるで、神が彼らのために少しの間だけ晴れ間をもたらしてくれていたかのようだった。

アイルランド北部のスウィリー湾 Lough Swilly

写真:アイルランド北部のスウィリー湾(Lough Swilly / 出典:wikipedia)

奇跡とも言うべき数々の現象を目の当たりにしたジョン(当時22歳)は、心の底から沸き上がる確信とともに、こうつぶやくのだった。

私には分かる。祈りを聞き届けてくださる神は存在すると。私はもはや以前のような不信な者ではない。私はこれまでの不敬を断ち切ることを心から誓う。私は神の慈悲に触れ、今までの自分の愚かな行動を心から反省している。私は生まれ変わったのだ。

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