十五夜お月さん
日本の童謡/童謡黄金時代の幕開け 童謡歌手も誕生
「十五夜お月さん ごきげんさん」の歌い出しで始まる童謡『十五夜お月さん』は、雑誌「金の船」初代編集長に迎えられた野口雨情の作詞による童謡。1920年に同誌上で発表された。
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『十五夜お月さん』が発表された当時、日本の子供向けの歌・音楽は、明治時代から始まった古めかしい「唱歌」の時代から、子供等の美しい空想や純な情緒を優しく育む芸術味の豊かな新しい歌、すなわち「童謡」の時代へと、大きな歴史の転換点を迎えようとしていた。
歌詞: 『十五夜お月さん』
十五夜お月さん ごきげんさん
婆やは お暇(いとま)とりました
十五夜お月さん 妹は
田舎へ貰(も)られて ゆきました
十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度わたしは あいたいな
【YouTube】歌:童謡歌手 浮島康子 『十五夜お月さん』
【YouTube】正木千枝子 『十五夜お月さん』
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童謡雑誌のパイオニア「赤い鳥」
『十五夜お月さん』誕生に最も影響を与えたのは、2年前の1918年に創刊された童話・童謡雑誌「赤い鳥」の存在が大きい。同年11月号に掲載された西條八十の童謡詩『かなりや』は、半年後に成田為三の作曲による楽譜が掲載され、はじめてメロディが付いた童謡が世に送り出された。
このメロディ付き童謡が大きな反響を呼び、新たな時代の音楽運動としての「童謡」が一世を風靡する中、1919年、斎藤佐次郎により童謡・童話雑誌「金の船」が創刊され、初代編集長に野口雨情が迎えられた。
雑誌「金の船」で野口・本居タッグ誕生
「金の船」創刊に賛同した中山晋平は、東京音楽学校本科を首席で卒業した元ピアノ科助教授の本居長世(もとおり ながよ/1885-1945)を紹介。
こうして巡り合った野口雨情、本居長世の二人はタッグを組み、1920年に「金の船」上で掲載された童謡『十五夜お月さん』は大きな反響を得た。
その後も二人は、1921年7月号『七つの子』、1921年10月号『青い眼の人形』、1922年『赤い靴』など、今日まで歌い継がれてる童謡の名曲を「金の船」上で次々と世に送り出していくのである。
童謡歌手第1号は本居長世の長女
ちなみに、童謡『十五夜お月さん』がヒットした大きな理由の一つに、同曲で新たに誕生した「童謡歌手」の存在が挙げられる。
本居長世の長女みどりは、1920年に新日本音楽大演奏会で『十五夜お月さん』を披露。同曲は彼女の歌で一躍有名となり、彼女自身も童謡歌手の第1号として、さらにレコード吹き込みを行った童謡歌手の第1号として、日本音楽界の歴史にその名を残すこととなった。
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