赤い靴 あかいくつ
日本の童謡/日本平で再び出会う 親子を結んだ赤い靴
静岡県静岡市日本平の「赤い靴」母子像 |
『赤い靴』は、野口雨情作詞、本居長世作曲による1922年(大正11年)発表の童謡。
物寂しく陰鬱なメロディーに乗せて、外国人に連れられて行く赤い靴を履いた女の子の様子が描かれている。
赤い靴の少女は実在した?!
『赤い靴』に登場する女の子は、静岡市清水区に住んでいた岩崎かよの娘「きみ」がそのモデルだという。
きみは1904年(明治37年)7月15日生まれ。家庭の事情で三歳の時にアメリカ人宣教師ヒュエット(ヒエット)夫妻に養女に出されてしまう。
孤児院に残された養女きみは・・・
やがて夫妻がアメリカに帰国するが、結核に冒されていたきみは、麻布の孤児院に残され、9歳で亡くなってしまったとのこと。
故郷の静岡を離れ、母親に再会することなく、東京の麻布で静かに息を引き取ったきみ。哀れな運命を辿った親子をもう一度巡り合わせてあげようと、二人の故郷を見下ろせる日本平の山頂にはこの『赤い靴』の母娘の銅像が建てられている。
ちなみに、『赤い靴』のメロディーは、モーツァルト作曲『きらきら星変奏曲』の第8番目の曲とよく似ていることでも知られている。
【試聴・歌詞】 赤い靴
赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんのお国に いるんだろ
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに逢うたび 考える
モーツァルト『きらきら星変奏曲』と似ている?
モーツァルトが弟子に与えるために作曲したと言われる『きらきら星変奏曲』。その第8変奏の一部のメロディが日本の童謡・唱歌『赤い靴』に似ていると指摘されることがある。偶然の一致と思われるが、比較して聴いてみると面白い。
『赤い靴』を作曲した本居長世(もとおり ながよ)は、1885(明治18)年、東京の下谷区御徒町に生まれた。1908年には東京音楽学校を全学部筆頭の成績で卒業。
1920(大正9)年に新日本音楽大演奏会で発表した『十五夜お月さん』が大きな反響を呼び、人気童謡作家として知られるようになった。終戦直後に肺炎で亡くなるまで、オペラ、合唱曲をふくめ約780の作品を残した(1945年10月14日没)。