遠き山に日は落ちて 歌詞の意味
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章のメロディ
『遠き山に日は落ちて(家路)』は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章のメロディに基づき、作詞家・堀内敬三が日本語の歌詞をつけた楽曲。
キャンプファイヤーなどの野外レクリエーションソングとして親しまれている。
ドヴォルザークの同じ作品に独自の歌詞をつけた楽曲としては、1922年にアメリカの音楽家(ドヴォルザークの弟子)が作詞した『Goin' Home』や、日本の作詞家・野上彰による『家路(いえじ)』が知られている。
詩人・宮沢賢治は、同じメロディに日本語歌詞をつけた歌曲『種山ヶ原』(たねやまがはら)を1924年(大正13年)に作詞している。
堀内敬三による『遠き山に日は落ちて』が発表されたのは戦後であり、ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章のメロディに日本語歌詞をつけた歌曲は、宮沢賢治の作品が元祖といえる。
【YouTube】遠き山に日は落ちて
【YouTube】ドヴォルザーク交響曲第9番 第2楽章
歌詞『遠き山に日は落ちて』 作詞:堀内敬三
1.
遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
今日の業(わざ)を なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき まどいせん
まどいせん2.
やみに燃えし かがり火は
ほのお今は 鎮まりぬ
眠れ安く いこえよと
さそうごとく 消えゆけば
安き御手(みて)に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん
夢を見ん
歌詞の意味は?
『遠き山に日は落ちて』の歌詞では、若干文語的で分かりにくい表現が散見される。
まず、一番の歌詞の「今日の業(わざ)」とは「一日に為すべき所業」、簡単に言えば「一日の仕事」を意味する。
次に、「まどいせん」は、「皆で丸く集まってくつろごう」という意味。キャンプファイヤーや囲炉裏などの火を囲んで団らんする様子が想像される。
「まどい」は「円居/団居」などと漢字表記される。「せん」は意思を表す古語「せむ」の別表記。
御手(みて)はキリスト教と関連?
二番の歌詞では、「安き御手(みて)に守られて」という表現が若干引っかかる。なぜなら、「御手(みて)」という歌詞は、讃美歌や聖歌などではイエス・キリストに関連づけられて使われる表現だからだ。
『遠き山に日は落ちて』の文脈では、子供が親に見守られながら眠りに落ちる様子が描写されているとも解釈できるが、何か別の意味を持たせている可能性もあるのかもしれない。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』サントラ
2022年(令和4年)放送のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、ドヴォルザーク『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』第2楽章がアレンジされてサウンドトラックに使用されている。
有名な『遠き山に日は落ちて』と同じメロディなので、ドラマを見ていてすぐに気づかれた方も少なくなかったと思われる。
ジャケット写真:大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全版 第壱集 ブルーレイ
『鎌倉殿の13人』は、三谷幸喜の脚本により、平安末から鎌倉前期を舞台に北条義時を主人公として、歴史書『吾妻鏡』をベースとした源平合戦や、鎌倉幕府誕生の過程を描いた大河ドラマ。
平安から鎌倉への新時代の幕開けと、ドヴォルザーク「新世界」というキーワードに親和性を見いだせるが、テレビCMにも使われるほど有名なクラシック音楽が突然流れ出すことに対しては、違和感を覚えた方もいたかもしれない。
ちなみに、同ドラマでは、ドヴォルザーク『交響曲第9番』「新世界より」第四楽章のメロディも度々使われている。