誰が風を見たでしょう
クリスティーナ・ロセッティ『風』
けれど木の葉をふるわせて 風は通りぬけてゆく
「誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない」が歌いだしの『風』は、クリスティーナ・ロセッティの詩を西條 八十(さいじょう やそ)が訳詞した楽曲。1921年6月発行の「赤い鳥」上で発表された。
作曲者は、『夕焼け小焼け』、『汽車ポッポ』、『緑のそよ風』などを手掛けた草川信。戦後は学校の音楽教科書にも掲載された。
【YouTube】風 クリスティナ ・ロゼッティ
歌詞(訳詞:西條八十)
誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく
歌詞(英語原文)
Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro'.
Who has seen the wind?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.
クリスティーナ・ロセッティについて
クリスティーナ・ロセッティ(Christina Georgina Rossetti/1830-1894)は、19世紀イギリスの詩人。敬虔なクリスチャン(イングランド国教会)で、敬虔主義的な作風による作品を残した。
西條八十『風』の原詩は、クリスティーナ・ロセッティが1872年に発表したナーサリーライム(童謡)集「シング・ソング(Sing-Song: a Nursery Rhyme Book)」に掲載された。
原詩にはタイトルはなく、あえて題名をつけるとすれば、詩の一行目から「Who has seen the wind?(誰が風を見たでしょう)」となるだろう。
風と聖霊(キリスト教)
クリスティーナ・ロセッティによる原詩については、彼女が敬虔なクリスチャン(プロテスタント)であったことから、歌詞の意味についてはキリスト教的な解釈の余地があるようだ。
風とキリスト教の関係については、例えば、ヨハネによる福音書第3章には、風と聖霊の関係について次のような一節がある。
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
<ヨハネによる福音書 第3章より>
言うまでもないが、このヨハネによる福音書の記述は、クリスティーナ・ロセッティによる原詩の唯一のルーツではなく、あくまでキリスト教の根底に潜在する風と聖霊の概念の一例にすぎない。
聖書の記述に用いられたヘブライ語では、風と聖霊は同じ単語「ルアフ(ルーアハ)」で表現される密接不可分の概念となっており、キリスト教における風と聖霊の深い関係性が伺われる。
ただ、この歌を特定の宗教的観点から解釈する必要はなく、日本の唱歌としてであれば、日本的な自然との距離感に基づいて、感じるままに鑑賞するのが良いだろう。
例えば筆者は、この曲(メロディ)を聞くと、『こいのぼり』や『せいくらべ』といった5月の年中行事の歌を思い出す。鯉のぼりが皐月の風にそよぐような爽やかなイメージだ。
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