背くらべ

日本の童謡/作曲:中山晋平 作詞:海野厚

『背くらべ(背比べ/せいくらべ)』は、5月の端午の節句の様子が描かれた日本の童謡中山晋平作曲、海野厚作詞により大正時代に発表された。

『こいのぼり』、『茶摘み(夏も近づく八十八夜)』などと同様に、毎年5月頃になると耳にする季節の一曲。

端午の節句(たんごのせっく)とは?

端午の節句(たんごのせっく)は、古来中国では邪気を払い健康を祈願する日とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬で作った人形を飾ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習があった。

この風習が日本で独自の変化を遂げたのは鎌倉時代の頃。「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになったという。

五月人形を飾り、庭前に鯉のぼりを立てるのが日本での典型的な祝い方である。ちなみに、柏餅(かしわもち)を食べる風習は日本独自のもの。柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていったようだ。

柱のキズは何故「おととし」? 年の離れた弟への切ない思い

さて、童謡『背くらべ』の歌詞を見ると、柱のキズは「おととしの」5月5日につけたとされているが、何故「昨年」のキズではないのか?と素朴な疑問が生じる。実はこの疑問を解くカギは、作詞者である海野の経歴に隠されていた。

海野 厚(うんの あつし/1896-1925)は、静岡県豊田村曲金(現在の静岡市駿河区)の出身。7人兄弟の長兄。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学するため、地元の静岡を離れ一人上京している。

童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ、海野は童謡作家となった。都会の生活にも慣れ、俳句や童謡の世界に没頭した海野は、病弱だったこともあり、1919年を最後に地元の静岡には帰郷していないという。

弟は元気に暮らしているだろうか?

実家には3人の妹と3人の弟がいた。中でも17歳年下の春樹は、海野にとって特別に可愛い存在だったという。しばらく帰っていない地元で暮らす可愛い弟。

もう2年も帰省していないが、弟は大きくなっているだろうか?元気に暮らしているだろうか?そんな切ない思いが童謡『背くらべ』の歌詞に込められているという。

中山晋平らとともに「子供達の歌」を出版し、雑誌「海国少年」の編集長も務めた海野だったが、1925年5月20日、結核のため28歳の若さで亡くなっている。

彼の母校である静岡市の西豊田小学校には「背くらべ」の歌碑が建てられている。

【試聴・歌詞】 背くらべ(せいくらべ)

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

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