川中島 詩吟 歌詞の意味・歴史

武田信玄と上杉謙信の「川中島の戦い」を題材とした詩吟

頼 山陽(らい さんよう/1781-1832)の漢詩「不識庵機山を撃つの図に題す」に基づく詩吟『川中島』。

題名のとおり、武田信玄と上杉政虎(のちの謙信)の「川中島の戦い」を題材としている。歌い出しは「鞭声粛粛(べんせいしゅくしゅく) 夜河を過る(よるかわをわたる) 」。

川中島の戦い 一騎討像 長野市八幡原史跡公園

写真:川中島の戦い 一騎討像(長野市八幡原史跡公園/出典:Wikipedia)

このページでは、詩吟『川中島』の歌詞(漢詩)の意味・背景(歴史)等について、簡単に解説してみたい。

ちなみに、武田信玄をテーマとした『武田節』については、こちらのページ『武田節 たけだぶし 歌詞の意味』を参照されたい。

【試聴】 石原詢子 詩吟 「川中島」

歌詞・読み方

千曲川

鞭声粛粛 夜河を過る
(べんせい しゅくしゅく よる かわをわたる)

曉に見る千兵の 大牙を擁するを
(あかつきにみる せんぺいの たいがを ようするを)

遺恨なり十年 一剣を磨き
(いこんなり じゅうねん いっけんを みがき)

流星光底 長蛇を逸す
(りゅうせい こうてい ちょうだを いっす)

<写真:千曲川(長野県南佐久郡川上村付近)出典:angler-s.com>

意味

武田信玄と上杉謙信の両雄が激突

上杉政虎(のちの謙信)の軍は、馬に鞭(むち)打つ音も静かに、夜陰に乗じて千曲川を渡った。

明け方、武田信玄の本陣前には突如、上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて現れた。

まことに無念だ この十数年来、剣を磨いてきたが

打ち下ろす刃光一閃 武田信玄を討ち取れなかった。

<挿絵:コーエーテクモゲームス「信長の野望・創造」より>

歴史的舞台について

詩吟『川中島』の歴史的舞台は、1561年(永禄4年)に起こった第四次・川中島の戦い。八幡原(はちまんぱら)の戦いとも呼ばれる。下の図は布陣図(出典:Wikipedia)。

第四次・川中島の戦い

妻女山(さいじょさん)に陣を張っていた上杉政虎(のちの謙信)は、夜陰に乗じて密かに山を下り、「雨宮の渡し」から千曲川を対岸に渡り、夜明け前までに武田信玄の本陣まで迫った。

上杉軍は波状攻撃「車懸り」で武田軍に襲いかかり、武田本陣は多くの重臣を失って壊滅寸前となった。上杉政虎は信玄に斬りかかったが、信玄は軍配をもってこれを受け止めたという。

これらが詩吟『川中島』の歌詞(漢詩)で描写されている歴史的内容である。

漢詩

雨宮の渡しにある頼山陽の漢詩碑

写真:雨宮の渡しにある頼山陽の漢詩碑(長野県千曲市/出典:Wikipedia)

詩吟『川中島』歌詞の原詩である頼山陽の漢詩「不識庵機山を撃つの図に題す」は次のとおり。

鞭声粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇

不識庵とは上杉謙信の法号、機山とは武田信玄の法号のこと。上杉政虎が出家して不識庵謙信の法号を用いるのは、第四次・川中島の戦いより10年ほど後の事。

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