ふたりは80才(NHKみんなのうた)
原曲はユダヤ民謡?

ウクライナ民謡『愛しのペトリューシャ』との関係は?

1986年にNHK「みんなのうた」で放送された『ふたりは80才』。80歳を迎えた仲の良い老夫婦が、「お茶でも飲もうか おばあさん」「はいはい飲みましょ おじいさん」と掛け合いながら、ほのぼのとした老後の日常を歌い合わせていく名曲。

NHK「みんなのうた」公式ページで『ふたりは80才』のページを見てみると、「作詞:伊藤アキラ、作曲:古ユダヤ民謡より、編曲:田中正史(編作曲)」と記載されている。

当サイトでは、この「作曲:古ユダヤ民謡」という点に注目して情報をまとめてみたい。

NHKテキストの解説引用

『ふたりは80才』は2017年に再放送(3回目)されており、その際にNHK出版から発行された「NHKテキスト みんなのうた 2017年6・7月号」の中で、原曲の「古ユダヤ民謡」について次のような説明がなされていた。

原曲は、祖国を失い流浪の旅を続け、東ヨーロッパを中心に移住したユダヤの人々に歌い継がれた民謡。作編曲を担当した田中正史が、サントールという友人のイランの民族楽器のエンディング演奏者から知る機会を得たという。古いヘブライ語の流れを汲むイーディッシュ語で書かれたこの歌の意味を知るために、博識なイスラエル人の尽力があった。

ポーランドやウクライナなどの東ヨーロッパには、中世から歴史的に多くのユダヤ人が移住していった。『ドナドナ』の作曲者ショロム・セクンダもウクライナ系のユダヤ人だ。

それらの人々によって歌い継がれていったのが、この『ふたりは80才』の原曲「古ユダヤ民謡」であるようだ。残念ながら、具体的な曲名までは記されていない。

ウクライナ民謡に似た曲があった?

ユダヤ人が多く移住したポーランドやウクライナでは、その「古ユダヤ民謡」とやらは歌い継がれていないのだろうか?

『ふたりは80才』のメロディを意識しながら、ポーランドやウクライナの伝承曲を探していくと、それらしき楽曲に遭遇した。

その「それらしき楽曲」とは、ウクライナ民謡『愛しのペトリューシャ Polyubyla Petrusya / Полюбила Петруся

歌詞では、片思いの男性が戦地へ行ってしまった女性の悲恋が描かれており、『ふたりは80才』の歌詞とは全く異なるものだが、曲全体の構成やメロディ進行がよく似ている。

古ユダヤ民謡とウクライナ民謡の関係は?

『ふたりは80才』の原曲という「古ユダヤ民謡」と、それに似ているウクライナ民謡『愛しのペトリューシャ』とは、一体いかなる関係にあるのだろうか?いくつかパターンを考えてみた。

パターン1.まったく無関係。他人の空似。気のせい。似てない。勘違い。

一番さみしい結果のパターン。似てる気がする、というだけの勘違いや思い込み。

パターン2.「古ユダヤ民謡」を元にウクライナ民謡が作曲された

NHKの解説とも矛盾しない素直なパターン。ウクライナへ移住した多くのユダヤ人によってもたらされたユダヤ音楽が、ウクライナ民謡の基礎となったという仮説。

パターン3.ウクライナ民謡の歌詞がイディッシュ語で書き換えられた

「古ユダヤ民謡」と思っていた曲は、実はウクライナ民謡の歌詞をイディッシュ語で差し替えただけの曲だった、という仮説。移住したユダヤ人がウクライナ民謡を吸収してユダヤ音楽に取り入れたという逆ルート。

曲名を公開してほしい

残念ながら、これらを検証するだけの客観的資料が乏しいため、これらの仮説に対する結論は現時点では出せない、というのが結論だ。

せめてNHKサイドが「古ユダヤ民謡」の曲名等詳細を情報公開してくれればまだ研究の余地があるが、本稿執筆時点ではそのソースについてまだ何も情報が得られなかった。とても残念だが、第三者による将来の研究成果に委ねることとしたい。

作詞か?訳詞か?

「古ユダヤ民謡」の謎に関連して、もう一つはっきりさせておかなければならない点がある。それは、『ふたりは80才』の歌詞が「作詞」なのか「訳詞」なのか、という点である。

「訳詞」であれば、原曲の内容をある程度踏まえているはずなので、原曲の「古ユダヤ民謡」を特定する際にも同一性の判断に歌詞の内容が役に立つ。

これが「作詞」の場合、原曲の内容とは関係性が薄い歌詞が当てられてしまうため、原曲との連続性が希薄になってしまう。

NHK「みんなのうた」公式サイトでは、『ふたりは80才』は「作詞」であると明記しているが、JASRACデータベースで確認すると「訳詞」として登録されている。

公式サイトの方が情報が新しいので、実際は原曲と関連性のない「作詞」なのだろうか。そもそも、ユダヤ民謡は一般的に旧約聖書や宗教行事に関連する歌詞が多いことを考えると、『ふたりは80才』のようなほのぼのとした日常系の歌はやはり「作詞」なのかもしれない。

アメリカの童謡にも似た曲が?

ちなみに、アメリカの童謡『ペトリューシュカ Petroushka』という曲も『ふたりは80才』のメロディに似ている。

その曲名を見ただけでも明らかだが、同曲はウクライナ民謡『愛しのペトリューシャ』を子供向けにカバーした楽曲であると推測される。

なお、『ペトリューシュカ Petroushka』の方が、『ふたりは80才』に近いアレンジがなされている。NHKはこの曲を端緒に『ふたりは80才』の原曲へたどり着いたのではないかとも考えられるが、真相やいかに。

これが原曲かも?

『ふたりは80才』の原曲について、大変興味深い情報をいただいたので、ここで共有させていただきたい。次のとおり引用する。貴重な情報提供、心から感謝いたします。

楽しくサイトを拝見させていただいております。おなじみの民謡の背景を知ることができて大変興味深いです。

さて、標題の歌ですが私も昔NHKで聴いて大変印象に残り、その後ユダヤ民謡についていろいろ調べたことがありました。

その時にイディッシュ語の歌で「Achtsik Er Un Zibetski Zi」(彼は80、彼女は70)という歌を見つけました。

YouTubeに動画もあったので聞いてみたのですがメロディーも似ています。

以来、私はこれがあの歌の原曲だったのだ、と合点がいったのですが、その後つっこんでは調べませんでした。

該当する曲のYouTube動画もご提供いただいたので、ここでご紹介したい。

【YouTube】Achtsik er un zibetsik zi

さっそく聴いてみると、確かに曲全体が『ふたりは80才』のメロディにほぼ一致しており、両曲の類似性が容易に確認できる。

原曲名が「彼は80、彼女は70」という意味だとすれば、曲名も『ふたりは80才』に近いものがある。

ウクライナ民謡『愛しのペトリューシャ』との関係性についてページを割いたが、この情報提供をいただいたことで、『ふたりは80才』の原曲は「Achtsik Er Un Zibetski Zi」である可能性が高いことが判明した。素晴らしい情報提供に対して、改めてお礼申し上げたい。

歌手名について

「Achtsik Er Un Zibetski Zi」という楽曲についてネットで調べてみると、すぐにアーティスト名として「セオドア・ビケル(Theodore Bikel)」という名前が表示された。

同曲は、彼が1958年にリリースしたレコードに収録されており、このレコードは彼がユダヤ民謡または民謡風の歌謡曲を歌ったアルバムとして発売された作品だった。

つまりこの「Achtsik Er Un Zibetski Zi」は、セオドア・ビケルのレコードで広まったユダヤ民謡または民謡風の歌謡曲であり、それを元に『ふたりは80才』が作曲された可能性が考えられる。

ちなみに、セオドア・ビケルが歌う「Achtsik Er Un Zibetski Zi」は、Amazon musicで配信中のアルバム「Theodore Bikel Sings Jewish Folk Songs」8曲目に収録されている。他のユダヤ民謡も合わせて聴いてみると、何か面白い発見に出会えるかもしれない。

古いユダヤ民謡ではない?

セオドア・ビケルのアルバムに収録された曲は、あくまでも「ユダヤ民謡または民謡風の歌謡曲」であり、伝統的で古いユダヤ民謡ばかりではない。

「Achtsik Er Un Zibetski Zi」の作者についてさらに調べてみると、作詞・作曲者として「Mark M. Warshawsky(Varshavsky/1840-1907)」の名前が確認できた。

どうやら、同曲は19世紀後半に作詞・作曲された比較的近年のユダヤ歌謡曲であり、「古ユダヤ民謡」とするには正直微妙な年代だ。

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