アメリカで大きな古時計が出版された
1876年の出来事とは?

大きな古時計の謎 Grandfather's Clock

「大きな古時計(Grandfather's Clock)」が始めて出版されたのは、作曲者H・C・ワークが44歳を迎えていた1876年のこと。

この1876年という年は、歴史上における節目の年であったり、いくつかの重要な出来事が起きていたようだ。簡単ではあるが、1876年関連の歴史的事項について、いくつか項目を拾ってみた。

アメリカ独立100周年

1776年7月4日、イギリス(グレートブリテン王国)によって統治されていたアメリカの13の植民地が独立を宣言した。

アメリカでは、毎年7月4日の「独立記念日」は祝日として定められている。単に「7月4日」(Fourth of July)と言うことが多い。

この独立記念日には各地でパレード、バーベキュー、ピクニック、打ち上げ花火などのイベントが開かれる。ニューヨーク・ブルックリンのコニーアイランドでは、毎年この日に「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」が開催されることで有名。

アメリカ民謡の父フォスターが生まれて50年

1826年7月4日、アメリカ民謡の父スティーブン・フォスターがこの世に生を受けた。フォスターといえば、「懐かしきケンタッキーの我が家」、「夢路より(夢見る人)」、「金髪のジェニー」など、19世紀アメリカを代表する歌曲を次々と生み出した有名な作曲家だ。まだ職業としての音楽活動がまれだった頃に、家族の助けなども借りながら、プロの音楽家として必死に暗中模索していた苦労の人でもある。

参照:アメリカ民謡の父 スティーブン・C・フォスター特集

グラハム・ベル 世界初の通話実験成功

「Mr.Watoson, come here. I want to see you.」

「ワトソン君、ちょっと来てくれたまえ」

1876年3月10日、ボストン大学の教授グラハム・ベルと助手ワトソンによって、電話による世界初の通話が成功した。ベル教授はこの通話の直前、研究室のテーブルに置かれた薬品のビンをうっかりこぼしてしまった。あわてたベル教授は、試作中だった電話機を使って別室にいた彼の助手ワトソンを呼びつけたのだった。

ちなみに、グラハム・ベルは、ヘレンケラーとサリバン先生を引き合わせた人物としても知られている。ベル教授は、音声学の権威として、耳の不自由な人達への教育にも非常に熱心だった。

なお、ヘレンケラーとサリバン先生とが通っていたボストンの「パーキンス盲学校」の初代校長は、「リパブリック讃歌」の作詞者ジュリア・ウォード・ハウ夫人の配偶者であったサミュエル・G・ハウ。

サミュエル・ハウは、アボリショニストのジョン・ブラウンの隠れた支持者「シークレット・シックス」のメンバーの一人としても知られている。

参考:ドナドナ研究室 「リパブリック讃歌 誕生編」

伊沢修二のアメリカ留学

近代日本の音楽教育の祖と称される伊沢修二(1851~1917)は、1875年から1878年までアメリカに留学していた。ボストン大学のグラハム・ベルのもとで視話法を、マサチューセッツ州ブリッジウォーター師範学校のメーソン(Luther Whiting Mason/1828-1896)から音楽理論を学んだ。

伊沢修二は1878年に帰国後、東京師範学校長や音楽取調掛を歴任し、日本では未開拓だった音楽教育の分野を精力的に開拓していった。後に、留学時代の教官であったメーソンは来日しており、「蛍の光」、「アニーローリー」、「仰げば尊し」など、日本における「世界の民謡・童謡」の導入に非常に大きな役割を果たしている。

【関連ページ】 スコットランド民謡 『蛍の光』

余談だが、1877年1月、ハーバード大学に留学していた小村寿太郎、金子賢太郎等とともに、伊沢修二はグラハム・ベルの通話実験に参加しており、電話機を使って話した世界で最初の言葉は英語、次は伊沢修二等による日本語であったという。

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