「見渡せば」日本に輸入された「ルソーの夢」

むすんでひらいての謎 ドナドナ研究室

クラーマーの「ルソーの夢」は、明治14年(1881年)に、我が国最初の音楽教科書である文部省音楽取調掛編著『小学唱歌集』初編に収められる形で初めて日本に発表されました。

当時の題名は『見渡せば』というものであり、歌詞の内容も現在の「むすんでひらいて」とは全く異なるものでした。この歌詞は「古今集」巻第一の素性法師の歌を元にして柴田清照と稲垣千頴が楽譜に即して作り直したものであることは前述の通りです。

この「見渡せば」の歌詞がそのまま日本に定着していったのであれば、クラーマーの「ルソーの夢」のメロディーにつけられた歌詞は、平成の現在においても「見渡せば」であったはずですが、「見渡せば」の歌詞は様々な理由で短命に終わることになります。

理由はいくつかあると思いますが、①小学唱歌としては歌詞の内容が高尚過ぎたこと、②戦闘歌・軍歌として別の歌詞がつけられて広まったこと、③幼児教育の遊戯曲としての度合いが高くなったことが、「見渡せば」が短命に終わった主な要因であるようです。以下この3つの要因について簡単に記述していきます。

要因① 小学唱歌としては歌詞の内容が高尚過ぎた

小学唱歌「見渡せば」の歌詞は、先にも述べたように、『古今和歌集』巻第一に収められた素性法師による次のような和歌をベースに作られています。

花ざかりに京をみやりてよめる
みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける

この「見渡せば」に限らず当時の『小学唱歌集』にはこうした和歌的な雰囲気をもつ歌詞が多く収められていたようですが、とりわけこの「見渡せば」に関しては、18世紀のフランスの旋律と『古今和歌集』的な日本古来の花鳥風月の世界が違和感無くマッチしており、非常に優美・典雅な作品へと昇華されている点が指摘できると言えるのです。

このような性格を持つといえる「見渡せば」の歌詞は、小学初年の児童たちが歌う曲としては多少なりとも違和感があったのでしょう。実際に、明治時代後半にはこの「見渡せば」の歌詞は歌われなくなったようです。

もちろんこの歌詞がもつ性格だけが短命に終わった理由ではないと思います。次に述べるように、当時の時代のうねりにこの曲が飲み込まれていったことも、この曲が異なる歌詞にとって代わられていった大きな原因であると思われます。

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むすんでひらいての謎 目次

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むすんでひらいての謎 ★試聴あり
  1. 様々な顔を見せる不思議な童謡
  2. ルソーと「村の占師」
  3. 小学校唱歌 「見渡せば」
  4. ルソーの夢
  5. 「ルソーの夢」と「村の占師」を結びつけるもの~まとめ
  6. なぜ「見渡せば」が定着しなかったのか?その1
  7. なぜ「見渡せば」が定着しなかったのか?その2
  8. 賛美歌としての「むすんでひらいて」
  9. アメリカ民謡としての「ルソーの夢」

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