パンチョ・ビリャ軍とラクカラチャの関係とは?

ラ・クカラチャの謎 La Cucaracha

ビリャ軍とラ・クカラチャの関係について、非常に有益な記述が「メキシコ革命物語」(渡辺建夫著)に記されていますので、ここで引用します。

1914年12月4日、朝はやくタクバを発ったビリャは少数の護衛だけをつれて、昼過ぎ首都南郊の町ソチミルコに着いた。この町でサパタと会談するためだった・・

・ビリャの一行は町の入り口で、サパタの秘書モンターニョの出迎えをうけ、さらに色とりどりのテープで飾られた大通りでサパタ本人とその家族の出迎えをうけた・・・

町のバンドが陽気に演奏し、小学校の子供たちが歌うなかを通り抜け、二人の領袖(カウデイリョ)は小学校の校舎のなかの一室に入っていった・・・

窓からビリャとサパタのために町の者たちが歌うサパタ派の愛唱歌「アデリータ」の歌声が流れてきた・・・哀調をおびた「アデリータ」が終わると、ビリャ軍の陽気な愛唱歌「ラ・クカラチャ」のメロディにのって替え歌が始まった・・・

この文章の最後の方に「ビリャ軍の陽気な愛唱歌」として「ラ・クカラチャ」が歌われていたことが記されています。

おそらくこの「ビリャ軍」というのは前のページで見たように「北部師団」のことだと思われますが、この北部師団の最高司令官であるビリャによってこの「ラ・クカラチャ」が愛唱歌として取り上げられたのでしょう。

何らかの戦争・紛争時において、「ラ・クカラチャ」のような愛唱歌を軍歌として用いることはよく行われていることで、「ラ・クカラチャ」以外によく知られているものとしては「友達賛歌」として有名な「リパブリック・バトル・ヒム(グローリー・ハレルヤ)」などがあります(ソングブックに掲載しています)。

ちなみにこの「ラ・クカラチャ」には本当に無数の歌詞がつけられていて、本当にどれを「ラ・クカラチャ」の歌詞として把握していいか分からない程なのですが、それを表す一例として、先ほど引用した「メキシコ革命物語」(渡辺建夫著)にも次のような「替え歌」(日本語訳)が掲載されています。

カランサの鼻ヒゲで 新しい紐飾りあんでやろ
おいらの将軍パンチョ・ビリャさまの ソンブレロのために
カランサの鼻ヒゲで 長い投縄あんでやろ
おいらの将軍サパタさまの 馬つかまえるために

【次のページ】 7.ラクカラチャの本当の意味とは? ~残された疑問~

ラ・クカラチャの謎 目次

  1. 原曲の歌詞
  2. パンチョ・ビリャはどんな人?
  3. パンチョ・ビリャの生い立ち
  4. メキシコ革命とビリャ
  5. 復讐に燃えるビリャ
  6. ラクカラチャとの関係
  7. 残された謎
  8. パンチョ・ビリャの最期

関連ページ