トルコ行進曲(モールァルト)
ピアノ・ソナタ第11番 第3楽章

ヨーロッパを脅かしたオスマン帝国の脅威と軍楽隊メフテルの衝撃

『トルコ行進曲』は、西欧の作曲家がオスマン帝国の軍楽隊メフテル(下写真)の音楽にインスピレーションを受けて作曲した行進曲。

モーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章や、ベートーヴェンの劇付随音楽『アテネの廃墟』の行進曲が特に有名。

度重なるオスマン帝国の脅威

歴史的に中央ヨーロッパはオスマン帝国と幾度となく領土争いを繰り広げており、特に2度に渡るウィーン包囲(特に1683年の第二次ウィーン包囲)に対しては、オーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、ロシアなどが団結して神聖同盟を結成し、オスマンの脅威に対抗していった。

オスマン帝国の軍楽隊メフテルとは?

オスマン帝国は行軍の時にメフテルと呼ばれる軍楽隊を引き連れていくことが多く、その独自のリズムとメロディーは当時のヨーロッパの人々に大きな衝撃を与えた。

メフテルによる軍楽には、打楽器が一定のリズムを終始繰り返し展開するという共通した特徴があり、その独特のリズムをピアノ曲等に取り入れた作品がモーツァルトやベートーヴェンなどの「トルコ行進曲」と呼ばれている。今日まで伝わるトルコ軍楽としては「ジェッディン・デデン(祖先も祖父も)」が特に有名。

(楽譜:軍楽隊メフテルにより共通に用いられる打楽器のリズム/出典:Wikipedia)。

【試聴】モーツァルト トルコ行進曲(第3楽章)

ベートーヴェン トルコ行進曲

ジェッディン・デデン(祖先も祖父も)

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オスマン帝国のウィーン包囲とコーヒー文化の意外な関係とは?

 ウィーンにコーヒーが伝わったのは、オスマン帝国による第二次ウィーン包囲が失敗した際に、オスマン軍が塹壕に残していったコーヒー豆をコルシツキーが戦利品として拝領し、ウィーン初のコーヒーハウスを開業したのが始まりだとする有名なエピソードが残されている。

また、クロワッサンはこの戦いの勝利を記念してトルコ国旗にデザインされた三日月をかたどったものであるとする説もある。いずれのエピソードも信憑性には疑問の余地が少なくないようだが、当時のトルコがヨーロッパに与えた衝撃や影響の大きさを物語る興味深いエピソードであることは間違いなさそうだ。

ちなみに、日本ではホイップクリームを浮かべたもの、またはカップに入れたホイップクリームに熱いコーヒーを注いだもの「ウィンナ・コーヒー(ウィーン風のコーヒー)」と呼ぶことがあるが、本場ウィーンではこのようなコーヒーは存在せず、ウィンナ・コーヒーという名前のコーヒーもない。

ただ、似たような飲み物として「アインシュペナー(Einspänner、一頭だての馬車)」や「カフェ・ミット・シュラーグオーバ(Kaffee mit Schlagobers)」などがあり、アインシュペナーはグラスに注がれたコーヒーにほぼ同量の生クリームが乗っており、カフェ・ミット・シュラーグオーバは、コーヒーのカップとは別の器に砂糖をかけたホイップクリームと水が添えられている。

中田喜直「夏の思い出」とそっくり?

さて、モーツァルト作曲のピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」第一楽章には、中田喜直(よしなお)作曲の「夏の思い出」と良く似たメロディーが登場する。

夏の思い出」は、昭和21年5月から昭和37年3月の「NHKラジオ歌謡」で放送され有名になった曲だ。中田喜直(よしなお)氏は、1923年の東京生まれ。1943年に東京音楽学校(現東京芸術大学)ピアノ科を卒業。「雪の降る街を」、「めだかの学校」、「ちいさい秋みつけた」等、数多くの名曲を残している。

【試聴】モーツァルト ピアノ・ソナタ 第11番 第1楽章