ヴァイオリンソナタ第9番 クロイツェル

クロイツェル・ソナタとして親しまれるヴァイオリンソナタの傑作

フランスの作曲家・ヴァイオリニストのロドルフ・クロイツェル(クレゼール)に献呈されたベートーヴェン『ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調』作品47。『クロイツェル・ソナタ』として親しまれ、『スプリング・ソナタ』と並ぶ同カテゴリの代表作。

この『クロイツェル・ソナタ』は、ベートーヴェンが聴覚をほぼ失って数年後の1803年に作曲された。20代後半頃から難聴に苦しめられ、28歳の頃にはほぼ失聴状態となり将来に絶望したベートーヴェンは1802年、甥カールと弟ヨハンに宛てて遺書を書いた。後に言う「ハイリゲンシュタットの遺書」である(後述)。

ちなみに写真は、ベートーヴェンの生まれた町ボン。中央辺りにあるピンクの家が ベートーヴェンの生家(photo by bienenstich/4travel.jp)。

【YouTube】 クロイツェル・ソナタ 第1楽章

ハイリゲンシュタットの遺書

医者の言葉に従って、この半年ほどは田舎で暮らしてみた。そばに佇む人には遠くの笛の音が聞こえるのに、私には何も聞こえない。人には羊飼いの歌声が聞こえているのに、私にはやはり何も聞こえないとは、何と言う屈辱だろう。

こんな出来事に絶望し、あと一歩で自ら命を絶つところだった。 自ら命を絶たんとした私を引き止めたものは、ただひとつ“芸術”であった。

自分が使命を自覚している仕事(作曲)をやり遂げないで、この世を捨てるのは卑怯に思われた。その為、このみじめで不安定な肉体を引きずって生きていく。

ベートーヴェン「ハイリゲンシュタットの遺書」より

自殺も考えたというベートーヴェンだったが、彼自身の芸術(音楽)への情熱をもってこの苦悩を乗り越え、1803年『クロイツェル・ソナタ』、『ピアノソナタ第21番 ワルトシュタイン』、1804年『交響曲第3番 英雄』と傑作を次々と発表。

以後の10年間は後世の音楽愛好家から「英雄の時代」と評価され、フランスの作家ロマン・ロランは特に1806年から1808年を「傑作の森」と称賛している。

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