具足祝い・具足開き

正月・新年の行事/年中行事・年間行事カレンダー

「具足祝い」(ぐそくいわい)または「具足開き」は、かつて戦国時代や江戸時代の武家社会において、正月に鎧・兜などの甲冑(かっちゅう)の前に供えた具足餅(ぐそくもち)または武家餅(ぶけもち)を下げ、槌(つち)などで割って食べた年中行事。

現代の日本でいうところの「鏡開き」のルーツであり、武士の魂とも言える武具・具足をまつる武家社会の伝統的な祝い事として長年行われてきた。

写真は、2014年に催された久能山東照宮(静岡県)御具足祭の一場面。社殿内に五代徳川綱吉公、十二代家慶公、十三代家定公の御具足が飾られ、御具足餅が献じられた。

刃物を使わない理由は?

具足祝い・具足開きでは、具足餅(鏡餅)を割る際、刃物で餅を切ることは切腹を連想させることから縁起が悪いとされ、木槌(きづち)などで叩いて割って細かく分けられた。これも武家社会の行事ならではの伝統と言えるだろう。

刃柄の祝い=20日(はつか)の祝い

具足祝い・具足開きが行われた日付は、当初は毎年1月20日とされていたという。この日はいわゆる「二十日正月」とも言われ、お正月の締めとなる節目の日とされてきた。

ところで、なぜ1月20日が具足祝い・具足開きの日として選ばれたのだろうか?

一説によれば、武士の魂・刀の刃(は)と柄(つか)の語呂にかけて、「刃柄の祝い」(はつかの祝い)=20日(はつか)の祝いと定められたとされているようだ。いかにも武家の祝い事に相応しい語呂合わせだ。

家光死後は11日に

刃柄祝いで1月20日とされていた具足祝い・具足開きだったが、江戸幕府の第3代将軍・徳川 家光が慶安4年4月20日に亡くなると、20日という日付が忌避され、大名家が米蔵などの蔵開きを行う1月11日にずらして催されることになった。

また、具足祝い・具足開きの日付がずれることで、特に関東において、それまで1月15日までとされていた「松の内」(松飾りを飾る期間)も1月7日までに変更されたようだ。

この1月11日という日付は、現代の日本でも鏡開きを行う日として関東を中心に受け継がれている。なお関西では、1月15日の小正月に鏡開きを行う場合も多く、「松の内」の期間も従来通り1月15日までとして行事が行われる。

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