ジュリア・ウォード・ハウ Julia Ward Howe
アメリカ愛国歌『リパブリック讃歌』作詞者として知られる作家・詩人
ジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe/1819-1910)は、アメリカ愛国歌『リパブリック讃歌』作詞者として知られる活動家。
アメリカ南北戦争時、北軍の兵士らが歌っていた『ジョン・ブラウンの亡骸(John Brown's Body)』をベースに、ジュリア・ウォード・ハウが格調の高い歌詞をつけたことで、今日有名な『リパブリック讃歌』が誕生した。
ちなみに、『ジョン・ブラウンの亡骸』は、童謡『ごんべさんの赤ちゃん』の原曲となっている。
写真:ジュリア・ウォード・ハウ(Julia Ward Howe/1819-1910)
このページでは、アメリカ南北戦争(1861-1865)直前から、ジュリア・ウォード・ハウが『リパブリック讃歌』の歌詞を作詞するまでの数年間(1860年から1862年まで)について、簡単にまとめてみたい。
ちなみに、ジュリア・ウォード・ハウの夫は、サリバン先生とヘレン・ケラーを輩出したパーキンス盲学校の初代校長サミュエル・グリドリー・ハウ(Samuel Gridley Howe/1801–1876)。
詩人として活躍していたハウ夫人
ハウ夫人は当時、1857年に詩集「Words for the Hour」を出版したほか、同年に彼女の脚本による演劇「The World's Own」がニューヨークとボストンで初演されるなど、プロの作家として活躍の場を広げていた。
彼女はアメリカの神学者・作家のジェームズ・フリーマン・クラーク(James Freeman Clarke/1810–1888)と交流があった。クラーク氏は、奴隷制度反対や女性参政権獲得などの運動に積極的に参加していた。
南北戦争で医療に貢献
1861年4月のサムター要塞砲撃により南北戦争が勃発すると、北軍支持のハウ夫妻は、サニタリー・コミッション(the Sanitary Commission)と呼ばれる戦傷者の治療・療養機関で活動していた。
当時の衛生環境は非常に劣悪で、戦闘による死者数よりも軍のキャンプで病死する数の方が多かったくらいであり、このサニタリー・コミッションは当時の北軍にとって重要な役割をもった主要な機関の一つだった。
戦争と医療と言えば、1854年のクリミア戦争に従軍したナイチン・ゲールが思い出されるが、ハウ夫人も同じような役割を果たしていたのかもしれない。
ハウ夫妻等の活動によって、サニタリー・コミッションでの衛生面は著しく向上した。1861年11月、ハウ夫妻はその成果を称えられ、リンカーン大統領から北軍部隊の演習に招待されることになる。
北軍キャンプと南軍の急襲
1861年11月、ハウ夫妻はワシントンD.C.のポトマック河周辺に駐留していた北軍キャンプの演習に招待された。
そこには、ハウ夫人と交流のあった神学者ジェームズ・フリーマン・クラークも招かれていた。
写真:アメリカ南北戦争のキャンプの様子
ところが、北軍キャンプの演習中に南軍が急襲を仕掛けてきたため、北軍の部隊は散々になり、演習も中止となってしまった。
ハウ夫妻らもすぐに町に引き返すことになったが、町への帰路は退却を始めた兵隊らで埋め尽くされ、たとえ馬車でも徒歩と同じぐらいのスピードしか出せなかった。
馬車で歌った『ジョン・ブラウンの亡骸』
ハウ夫人が乗っていた帰りの馬車には、彼女と交流のあった神学者ジェームズ・フリーマン・クラークも乗り合わせていた。
兵士らで埋め尽くされた道をノロノロと進む馬車の中で、ハウ夫人らは少しでも退屈を紛らわそうと、当時流行していた行軍歌を思いつくままに歌って時間をつぶしていた。
到着間際になった頃、最後の曲として、『ジョン・ブラウンの亡骸(John Brown's Body)』という曲を歌って締めくくることになった。
John Brown’s body lies
a-mouldering in the ground;
John Brown’s body lies
a-mouldering in the ground;
John Brown’s body lies
a-mouldering in the ground;
His soul is marching on.
<意味>
ジョン・ブラウンの亡骸(なきがら)は
墓で朽ちていくが
彼の精神は行進しつづける
このメロディと歌詞は、当時の北軍志願兵達の間で流行しており、北軍の非公式な聖歌として位置づけられていた。
公式な軍歌として検討もされたが、歌詞に若干露骨な表現や低俗な響きがあったため、そのまま北軍の行軍歌として公式に採用することはできなかった。
北軍の正式なアンセムとして、相応しい洗練された荘厳な歌詞が、北軍の人々の間で求められていた。
クラーク氏の提案
ハウ夫人は、既にこの時までに数々の詩集を出版しており、詩人としての名前は広く知られていた。同じ馬車に乗り合わせていたクラーク氏も、彼女の詩人としての活動とその才能を十分に理解していた。
写真:ジェームズ・フリーマン・クラーク(出典:Wikipedia)
詩人ハウ夫人と同じ馬車に長時間乗り合わせ、偶然にも『ジョン・ブラウンの亡骸』を歌うというこの絶好の機会に、クラーク氏はハウ夫人にこう尋ねたという。
"Mrs. Howe, why do you not write some good words for that stirring tune?"
「ハウ夫人、この心を揺さぶる曲に何か良い詩をつけてはいかがでしょう?」
このクラーク氏の提案に、ハウ夫人はこう答えた。
"I have often wished to do this, but have not as yet found in my mind any leading toward it. "
「私も何度となくそうしようと思ったのですが、よい詩がひらめかないんです」
真夜中の突然のひらめき
ハウ夫人らを乗せた馬車は、なんとか町にたどり着くことができた。初めて目の当たりにした北軍兵士の演習や南軍による急襲、そしてクラーク氏からの馬車の中での提案など、彼女の頭の中は色々な出来事でいっぱいになっていた。
宿泊先のホテルについた後は、馬車の中の長旅と精神的な疲労からか、いやいつも通りのことだったようだが、彼女はぐっすりと深い眠りにつくことができた。
ハウ夫人はいつも熟睡して朝を迎えていたが、その日は少し違っていた。彼女は、まだ明け方の薄暗い明かりの中でふと目を覚ました。
すぐには眠りにつけそうになかったので、そのまま横になって世が明けるまで待とうかとしていたその時、突然いくつもの長い詩の糸が、彼女の頭の中でひとつにまとまっていき、待ち望んでいたすべての歌詞が見事なまでに編み上げられ、形作られていった。
"I must get up and write these verses down, lest I fall asleep again and forget them."
「また眠りについて忘れてしまう前にかきとめなければ!」
夜明けの薄暗い明かりの中、彼女はベッドから飛び起きた。何か書くものがないか手探りしてペンを見つけると、ほとんど紙も見ないで、思いついたままを走り書きで夢中で書き留めていった。
彼女はこれ以前にも、夜に詩を思いついて暗闇の中で紙も見ずに走り書きをすることはよくあったという。その理由は、彼女のそばで寝ている赤ちゃんを起こさないように、明かりを使わずにアイディアを書き留める必要があったからだ。
こんな芸当の助けもあって、彼女の脳裏に突然ひらめいた新たな歌詞は、見事すべて紙に書き留められた。思いついた歌詞を書きとめ終えると、彼女は満足してこうつぶやき、またベッドに入って深い眠りについた。
"I like this better than most things that I have written."
「今まで思いついた中で最高の歌詞が出来たわ」
リパブリック讃歌 誕生
彼女は早朝に書き留めた草案にさらに修正を加え、ボストン「アトランティック・マンスリー(The Atlantic Monthly)』に送った。
同誌の編集者ジェームズ・トーマス・フィールズにより『The Battle Hymn of the Republic』(ザ・バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック)と命名され、アトランティック・マンスリー1862年2月号で発表された。
写真:Atlantic Monthly 1862年2月号(出典:Wikipedia)
ハウ夫人によるこの歌詞に対して、アトランティック・マンスリーから支払われた報酬はたったの5ドルだったという。
同年4月にコーラス付きの楽譜がオリヴァー・ディットソン社から出版され、今日知られる『リパブリック讃歌(Battle Hymn of the Republic)』の形となっていった。
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