スズムシの鳴き声 昔はマツムシだった?
平安時代にはマツムシをスズムシと呼んでいた?その意味・理由は?
秋の夜に草むらや茂みで「リーン リーン」と鳴くスズムシ(鈴虫)は、コオロギやマツムシと並び、秋に鳴く虫の代表格として、古くから多くの日本人に愛されてきた。
かつて平安時代後期以降には、なぜかスズムシはマツムシと呼ばれ、逆にマツムシはスズムシと呼ばれていたという。これは一体どういうことだろうか?
その意味・理由・歴史などについて、簡単にまとめてみた。
ちなみに、スズムシが鳴くのはオスのみ。メスを惹きつけるために、2枚の翅(はね)をこすり合わせて音を出している。
スズムシの鳴き声の周波数は約4500ヘルツもあり、人間の声よりも高い。そのため、人間の声に最適化された一般的な電話では、スズムシの鳴き声を相手に伝えることができない(機種によって例外はあるだろう)。
【YouTube】 スズムシの鳴き声
平安時代以降は逆だった
平安時代以降の文学では、15世紀頃まで、現代のスズムシ(鈴虫)はマツムシ(松虫)と呼ばれ、逆にマツムシはスズムシと呼ばれていたと考えられている。
この点については、江戸時代に平戸藩主・松浦静山が記した随筆集「甲子夜話」(かっしやわ)の次のような記述が参考になる。
都にしては、松むしといへるは色くろく、鈴むしはあかきをいへり。あづまの人は、おほくそのとなへたがひたり。いづれかいづれか、そのよしわきまへよ…
意味としては、「京の都では、マツムシは色が黒く、スズムシは赤い虫を指す。東国(現在の関東地方)では違っている。どっちがどっちか、その根拠を明確にせよ」と記述されている。
現代におけるスズムシは色が黒く、マツムシは枯れ草の保護色となる淡褐色をしているので、当時の関東は現代と同じ呼び方で、歴史ある京の都では現代とは逆の呼び方をしていたということが分かる。
更なる根拠
平安時代以降にスズムシとマツムシが逆に呼ばれていた時期があったという定説については、椙山女学園大学の武山隆昭名誉教授が同様の説を主張している。
武山隆昭名誉教授が記した論考「『源氏物語』の「すゞむし考」鈴虫松虫転換説再評価」では、室町時代に「松虫」の翅(はね)を蝶(ちょう)に見立てて詠んだ次のような歌が紹介されている。
たれかとふ 月もよよしと すめる野や
こてふににたる 松虫の声飛鳥井雅親 1490年
「こてふににたる(似たる)」の「こてふ」は「胡蝶(こちょう)」、つまり蝶々のこと。現代において、2枚の丸い翅(はね)が蝶(ちょう)に似ているのはスズムシの方であり、スズムシとマツムシが逆に捉えられていたとの根拠になりうるというわけだ。
風鈴の普及が原因?
武山隆昭名誉教授の論考によれば、呼称逆転の主な原因は、スズムシ(鈴虫)の名前の由来である「鈴の音」の変化にあるのではないか、との次のような興味深い考察が示されている。
平安初期から江戸時代まで、鷹狩りの鷹に付ける鈴の音と鈴虫の鳴き声との類似を詠んだ歌が多く見られる。
鷹に付ける鈴は、鉄製の小さいものであったから、その音は「チリチリ」と言った感じであろう。
鷹につける小さい鉄の鈴は「チンチロリン」に近い音で、それは現代ではマツムシの鳴き声だが、それが平安時代は「スズムシ(鈴虫)」の鳴き声と結び付けられていたということは、当時は現代のマツムシを「鈴虫」と呼んでいたことになる。
15世紀には、京を中心とした上方で、「チリーン、チリーン」と伸びやかに鳴る風鈴が普及すると、「鈴の音」と言えば風鈴の音が一般的となり、現代と同じく「リーン、リーン」と鳴く虫を「鈴虫」と呼ぶようになったと考えられるようだ。
写真:鷹と鈴(出典:ブログ「ちわわんの部屋」より)
ちなみに、小型のタカ類は脚に鈴をつける。大型のオオタカなどは尾羽に乗るように鈴がつけられる。
鈴虫の音は松風だった?
平安時代における鈴の音が「チンチロリン」だったなら、現代のスズムシの鳴き声である「リーン、リーン」がなぜ「松虫(マツムシ)」に結び付けられていたのだろうか?
この疑問については、(公益社団法人)農林水産・食品産業技術振興協会Webサイトで興味深い解説がなされていたので、次のとおり引用してご紹介したい。
スズムシの成虫は体長2センチほどの黒い虫です。雄はその名のように、「リーン・リーン」という鈴をふるような声で鳴き、なれれば野外でも声を聞き分けることができます。平安時代にはその声が松風にたとえられマツムシと呼ばれ、「チンチロリン」と鳴くマツムシの方がスズムシと呼ばれていました。
松風(まつかぜ)とは、松林にうちつける風。日本の古典文芸では、うら(浦)寂しい海岸の情景を表す際に用いられ、和歌では「待つ」の掛詞(かけことば)として使われた。
松風に例えられる鳴き声の虫だから「松虫(マツムシ)」と呼ばれていたのだろうか。そのように考えるのが自然なように思われる。
とばっちりを受けた松虫
風鈴によって「鈴の音」の定義が変わり、松虫から「リーン、リーン」の鳴き声を奪った形となった鈴虫。
一方で松虫は、松風の音という理由があったはずなのに、松風から完全に切り離されて、かつて鈴虫の鳴き声とされていた「チンチロリン」の音を引き継ぐことになってしまった。
このような松虫の境遇については、上述した武山隆昭名誉教授の論考では、
松虫の方は鈴虫の変化のあおりを受けた形
と説明されている。つまり、鈴虫の理由付けが変わってしまったために、残された松虫は松と関係のない「チンチロリン」という音に結び付けられてしまったという、完全なとばっちりを受けた状態だと考えられるようだ。
現代の日本でも、マツムシの鳴き声を聞いて、それを鈴の音のように感じる方がいらっしゃるかも知れないが、かつてマツムシが鈴虫と呼ばれていた時期があったことを考えれば、その感覚はそれは決して間違いではないと言えるだろう。
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