誰か故郷を想わざる 歌詞の意味
古賀政男が故郷・福岡県大川市で過ごした幼少期の情景と思い出
『誰か故郷を想わざる(想はざる)』(たれかこきょうをおもわざる)は、作詞:西條 八十、作曲:古賀政男により1940年(昭和15年)に発表された戦時歌謡。
歌詞には、古賀政男が故郷の福岡県大川市(旧・田口村)で過ごした幼少期の情景が描写されており、彼の家族についての切ない思い出も織り込まれている。
曲名は、「誰か故郷を懐かしく思わない者がいるだろうか?いや、いない。」といった意味合いの反語表現。
「想わざる」の「ざる」は、否定の助動詞「ず」の連体形。「誰か」の「か」を受けての係り結びとなっている。
写真:古賀政男記念館(福岡県大川市/出典:大川市 観光なび)
『誰か故郷を想わざる』が発表された当時の歌手は、日本コロムビアの人気歌手・霧島昇(きりしま のぼる/1914-1984)。
霧島の5年上の先輩には、コロムビア専属の作曲家で同郷(福島県出身)の古関裕而(こせき ゆうじ)がいる。
霧島は、福島県出身のコロムビア専属歌手・伊藤 久男(いとう ひさお)と親交があった。
【YouTube】 誰か故郷を想わざる 霧島昇
歌詞の意味・背景
『誰か故郷を想わざる』の歌詞には、意味が分からないような特段難解な表現は用いられていないが、古賀政男の故郷や家族を念頭に置いた描写がなされているので、彼の半生と照らし合わせながら、簡単に内容を確認してみたい。
作詞:西條 八十による『誰か故郷を想わざる』の歌詞を次のとおり引用する。
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を 組みながら
唄をうたった 帰りみち
幼馴染(おさななじみ)の あの友この友
ああ誰(たれ)か故郷を 想わざるひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ誰か故郷を 想わざる都に雨の 降る夜は
涙に胸も しめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああ誰か故郷を 想わざる
歌詞を見ると、特定の場所や地域・時代などを示す固有名詞等は用いられていないが、作詞にあたっては、作曲者・古賀政男の故郷である福岡県大川市(旧・田口村)の情景がモチーフとされている。
福岡県大川市は、北原白秋の故郷・柳川市に隣接しており、家具・木工製造業が発展している。演歌歌手・大川 栄策(おおかわ えいさく)の出身地でもある。
5歳のときに古賀の父が他界し、母と姉、弟とともに7歳で故郷を離れた。『誰か故郷を想わざる』の歌詞には、大川市で過ごした幼少期の情景が念頭に置かれている。
嫁いでいく姉への切ない思い
2番の歌詞にある「ひとりの姉が 嫁ぐ夜に」のくだりは、古賀の姉が嫁入りする際の別れの寂しさを描写したものである。
作詞者の西條 八十にも年の近い姉がおり、彼も姉が嫁ぐ際に悲しい思いをした経験があるという。
つまり、『誰か故郷を想わざる』2番の歌詞は、作詞者・作曲者の双方にとって思い入れが深い内容となっているのだ。
古賀氏は著書『自伝 わが心の歌』の中で、姉の嫁入りに関する歌詞について、次のような言葉を残している。
この姉にたいする私の敬慕の情が、八十さんの歌詞にあまりにも的確に唱いこまれていたので、一瞬、私の日記を盗み見されたのではないかと疑ったほどであった。
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