蘇州夜曲 歌詞の意味・由来
上海に隣接する水郷・蘇州を舞台としたセレナーデ
『蘇州夜曲』(そしゅうやきょく)は、李 香蘭(り こうらん)主演による1940年(昭和15年)の映画「支那の夜」劇中歌。
美空ひばり、雪村いづみ、石川さゆり、香西かおり、平原綾香、夏川りみ、UA(ウーア)など、現代まで数多くのアーティストによってカバーされている。
写真:蘇州市同里の運河(出典:Wikipedia)
作詞は、『東京音頭』、『青い山脈』などを手掛けた詩人の西條 八十(さいじょう やそ/1892-1970)。
作曲は、『東京ブギウギ』、『山寺の和尚さん』、『青い山脈』などで知られる服部良一(はっとり りょういち/1907-1993)。蘇州市に隣接する上海で精力的に活動した。
『蘇州夜曲』の歌詞には、蘇州の寒山寺に関連する古い漢詩を取り入れたと思われる箇所がいくつか見受けられる。該当する一番と三番の歌詞について簡単にご紹介したい。
【YouTube】蘇州夜曲(李香蘭)1949
【YouTube】 蘇州夜曲 - 雪村いづみ
一番の歌詞について
写真:蘇州市の運河(出典:Wikipedia)
西條八十『蘇州夜曲』一番の歌詞を次のとおり引用する。
君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く<引用:西條八十『蘇州夜曲』一番の歌詞より>
ここでの歌詞のポイントは、「夢の船唄」「鳥の唄」「水の蘇州」の3つ。
蘇州は長江の南側にあり、運河による水運が生活に溶け込む水郷地帯にある。「東洋のヴェニス」と呼ばれることもあるようだ。「船唄」「水の蘇州」の歌詞は、これらの地理的特色を反映している。
「鳥の唄」については、蘇州の寒山寺に関連する次のような漢詩に基づいていると思われる。
月落烏啼霜満天
(月落ち 烏啼きて 霜天に満つ)<引用:張継「楓橋夜泊」冒頭より>
寒山寺の名前は三番の歌詞にも使われている。この漢詩の全文と意味については後述する。
三番の歌詞について
写真:蘇州・寒山寺の鐘楼(出典:Wikipedia)
西條八十『蘇州夜曲』三番の歌詞を次のとおり引用する。
髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)<引用:西條八十『蘇州夜曲』三番の歌詞より>
ここでの歌詞のポイントは、最後の「鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)」の部分。
この「寒山寺(かんざんじ)」は蘇州を代表する古い寺院であり、鐘楼で有名な寒山寺の鐘が歌詞でも描写されている。
寒山寺 かんざんじ
『蘇州夜曲』三番の歌詞にある「寒山寺(かんざんじ)」とは、 蘇州の旧市街から西に5キロ程にある臨済宗の仏教寺院。
写真:寒山寺・大雄宝殿の前庭(出典:Wikipedia)
寒山寺は、唐代の詩人・張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」(ふうきょう やはく)で有名。全文と書き下し文は次のとおり。
月落烏啼霜満天
(月落ち 烏啼きて 霜天に満つ)江楓漁火対愁眠
(江楓 漁火 愁眠に対す)姑蘇城外寒山寺
(姑蘇城外 寒山寺)夜半鐘聲到客船
(夜半の鐘声 客船に到る)<引用:張継「楓橋夜泊」>
漢詩の意味(大意)
月が沈み カラスが鳴いて
霜の気配が天に満ちている
川岸のカエデと漁火(いさりび)
旅愁の浅い眠り
姑蘇の外れの寒山寺から
夜半(よわ)を告げる鐘の音が
私の乗る旅の船まで聞こえてきた
補足
寒山寺は固有名詞ではなく、晩秋の寒々とした山寺であると解釈する説もあるようだ。
伝説の歌姫 李香蘭の世界
戦前の中国で生まれ、激動の昭和を生きた伝説のスター、李香蘭こと山口淑子の代表曲、貴重音源を集大成したアルバム。昭和19年(1944年)録音。
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