かなりや(唄を忘れた かなりやは)歌詞と解説

生活苦で詩人への夢から遠ざかりかけていた西條八十

「唄を忘れた かなりやは」が歌いだしの『かなりや』は、作詞:西條八十、作曲:成田為三による日本の童謡。原詩は1918年の童謡雑誌「赤い鳥」11月号に掲載された。

作詞者の西條八十(さいじょう やそ/1892-1970)は裕福な家庭に生まれたが、父親の死後に兄が散財し家庭は没落。

文学・詩人を目指していた西條だったが、一家を支えるために様々な商売で日銭を稼ぎ苦労を重ねた。

【YouTube】小鳩くるみ かなりや

歌詞

歌を忘れた カナリヤは
うしろの山に すてましょか
いえいえそれは なりませぬ

歌を忘れた カナリヤは
せどのこやぶに うめましょか
いえいえそれは なりませぬ

歌を忘れた カナリヤは
柳のむちで ぶちましょか
いえいえそれは かわいそう

歌を忘れた カナリヤは
ぞうげの船に 銀のかい
月夜の海に 浮(う)かべれば
忘れた歌を 思い出す

鈴木三重吉から声を掛けられ童謡作家に

苦しい生活の中でも、同人文学雑誌に自作の詩を発表していた西條。その作品が認められ、「赤い鳥」創始者の鈴木三重吉から直々に童謡作家として声を掛けられた。

「唄を忘れた かなりやは」の歌詞は、生活苦の中、詩人になる志から遠ざかりかけていた当時の西條そのもの。

自らをカナリヤと重ね合わせた童謡『かなりや』では、詩人の夢を諦めたわけではないとでもいわんばかりに、歌詞の最後で「象牙の船に 銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄を思い出す」と締めくくられている。

詩人としての地位を確立した西條はその後、童謡『肩たたき』、『鞠と殿さま』などの人気曲を発表したほか、戦後歌謡曲の作詞家としても才能を開花し、『青い山脈』、『東京音頭』、『蘇州夜曲』、『王将』(歌:村田英雄)などの名曲を世に生み出している。

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