フィリピンとアメリカ 中国との対立

世界史・国際関係トピックス

フィリピンが独立宣言を発した2か月後の1898年8月、アメリカ軍はマニラを占領しスペイン軍を降伏させた。

アメリカ軍に協力したフィリピン革命軍だったが、アメリカ軍はマニラに革命軍が入ることを許さなかった。

アメリカに支配されたフィリピン

同年12月10日に米西間で締結されたパリ講和条約により、2,000万ドルの支払いを条件に、アメリカはスペインからフィリピン割譲を受けた。

フィリピンを手に入れた米国は12月21日、マッキンリー大統領(右挿絵)が「友愛的同化宣言」を発してフィリピン独立を否定し、直ちに植民地化を開始した。

米比戦争 司令官はマッカーサーの父

新たな支配者となったアメリカとの間で緊張が高まると、フィリピン共和国(第一次)が建国された翌月の2月4日、一人のフィリピン兵射殺をきっかけに米比戦争が勃発した。

フィリピン駐留アメリカ軍司令官として、ダグラス・マッカーサーの父アーサー・マッカーサー・ジュニアが指揮をとり、一万人以上の地上部隊がアメリカ本国から送り込まれ、抵抗するフィリピン人60万人が虐殺された(150万人とも)。

1901年4月1日、アギナルドはアメリカ合衆国への忠誠を誓い、フィリピン第一共和国は消滅した。1902年7月4日、セオドア・ルーズベルトが公式声明を発表し戦争は終結した。

大戦後のフィリピン

第二次世界大戦中の1941年12月、フィリピン駐屯のアメリカ極東軍司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は日本軍に敗れオーストラリアに逃亡。日本は1943年にラウレル大統領のもとフィリピンを独立させた(第二共和国)。

終戦後は1946年に戦前から約束されていたフィリピン第三共和国(英語版)独立を達成。1965年より反共産主義を唱えるマルコス独裁国家体制が築かれたが、1986年に起きたエドゥサ革命でマルコス政権は崩壊し、現在のフィリピン第四共和国が成立した。

フィリピン・レイテ島に上陸するダグラス・マッカーサー

中国との対立 南沙諸島の領有権問題

1990年代に冷戦が終結すると、アメリカ軍はアジアの拠点を沖縄に集約しフィリピンから撤退した。しかしその後、中国が南沙諸島を含む南シナ海全域の領有権を強硬に主張するようになると、フィリピン政府は再びアメリカ軍に再接近。

上写真:中国に売却された空母ヴァリャーグ(aircraft carrier The Varyag)

2011年4月にはフィリピン国軍とアメリカ軍が過去最大規模の合同軍事演習を展開。中国軍の南シナ海艦隊には空母配備も予定されており、中国・フィリピン間は南沙諸島・南シナ海の領有権を巡って一触即発の様相を呈している。

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