スペインによるアステカ征服とメキシコ

世界史・国際関係トピックス

コロンブスによるアメリカ大陸発見(1492年)に続き、1519年にスペインのコンキスタドール(Conquistador/探検家)エルナン・コルテス(Hernán Cortés)が現在のメキシコに上陸。

1521年にアステカ帝国を滅ぼし、首都テノチティトランを破壊し尽くした廃墟の上に、「ヌエバ・エスパーニャ副王領(新スペイン)」首都(現在のメキシコシティ)を創設した。

写真はソカロ広場。左手の建物がメトロポリタン大聖堂。

1913年には、メキシコシティの中心部にあるソカロ広場(Zócalo/Plaza de la Constitución)から、テノチティトラン時代の巨大神殿「テンプロ・マヨール Templo Mayor」の一部が発見されて掘り起こされ、現在は野外博物館となっている。

上写真:アステカ帝国の首都テノチティトランに存在した神殿の一部

慶長遣欧使節団がメキシコ訪問

なお、ソカロ広場には、カトリック教会の大聖堂「メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂」(下写真)が建立されており、日本の仙台藩主伊達政宗の家臣 支倉 常長(はせくら つねなが)らによる慶長遣欧使節団が1614年にメトロポリタン大聖堂を訪れている。

なお、支倉らが経由したメキシコのリゾート地アカプルコには、宮城県仙台市との姉妹都市提携を記念して、1973年より支倉常長の銅像が建てられている。2010年には、日墨交流400周年を記念してカラバリビーチに開設された日本広場へ移設された。

関連ページ

メキシコ国歌
アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)から数年後の1854年に作曲された