ところがぎっちょん 意味・由来・ルーツ

ルーツは明治の流行歌?大正から昭和そしてドリフへ

「ところがぎっちょん」は、「ところがどっこい」と同様の意味や場面で使われる日本の慣用句。この後にさらに「ぎっちょんちょん」や「ぎっちょんぱ」などが付け加えられる場合もある。

ところがぎっちょん 意味・由来・ルーツ

さて、この「ところがぎっちょん」は、一体誰がいつから使い始めた言葉なのだろうか?

まずは「ぎっちょん」の由来・ルーツを確認したうえで、それが現代の我々にどのように伝えられ、広められたのかについて簡単にまとめてみたい。

明治初期の俗謡「ぎっちょんちょん」

「ところがぎっちょん」の「ぎっちょん」の由来・ルーツとしては、明治初期に流行した俗謡『ぎっちょんちょん』が大きく関係していると思われる。

ぎっちょんちょん』は、さらに江戸時代後期の俗謡『ビヤボン節』が原曲であり、同曲の「ビヤボン」という擬音を「ぎっちょんちょん」に差し替える形で明治初期にリメイクされたようだ。

ぎっちょんちょん』は三味線で演奏されるお座敷歌としても定着しているので、これがお座敷歌として現代まで伝えられ、「ところがぎっちょん」の誕生につながった可能性がある。

だが、筆者の私見では、同曲はもう一つ別なルートで「ところがぎっちょん」までたどりついたと考えている。それは、大正時代の流行歌『東京節(パイノパイノパイ)』ルートだ。

東京節(パイノパイノパイ)と『ぎっちょんちょん』

東京節(パイノパイノパイ)』は、日本の大正時代に流行したコミックソング。メロディは、アメリカ歌曲『ジョージア行進曲 Marching Through Georgia』を原曲とする。

冒頭の歌詞では、「♪ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ♪」のように、「ぎっちょんちょん」という明治時代の流行歌のフレーズがそのまま流用されている。

ただ、まだこの時代に入っても、「ところがぎっちょん」というフレーズは誕生していなかった。おそらく、「ところがぎっちょん」は昭和後期に入ってから、ザ・ドリフターズがコントで使ったのが初めてと考えられる。

ドリフと「ところがぎっちょんちょん」

ザ・ドリフターズは、1970年代から80年代にかけて活躍した日本の音楽バンドおよびコントグループ。「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」などのバラエティ番組で国民的な人気を博した。

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じゃんけんの「最初はグー」や「カラスなぜ泣くの カラスの勝手でしょ」など、加藤茶や志村けんなどドリフのメンバーによるギャグは、全国の小学生の間で爆発的に流行となった。

ドリフのこうした人気ギャグの一つに、あの「ところがぎっちょんちょん」という決まり文句が使われていた。これは主にコントの中で、それまでの話の流れをひっくり返すときに使われていたギャグの一つ。

おそらくこのドリフのギャグが「ところがぎっちょんちょん」の初出であり、それが日本全国に広まった最大のきっかけであると考えられる。

ドリフのバイのバイのバイ

ところで、ドリフと「ぎっちょんちょん」に何かつながりがあるのだろうか?

ドリフはコントグループであると同時に音楽バンドであり、『いい湯だな (ビバノン・ロック)』や『ドリフのズンドコ節』など、過去のヒット曲をカバーした楽曲を数多くリリースしている。

写真:ドリフのシングルコレクション(全曲試聴あり)

ドリフによるカバー曲の一つに、上述の『東京節(パイノパイノパイ)』をカバーした『ドリフのバイのバイのバイ』が1976年3月にリリースされており、ドリフと「ぎっちょんちょん」は楽曲を通じて確かにつながっていると考えられる。

『ドリフのバイのバイのバイ』の歌詞では、原曲にあった「ぎっちょんちょん」という歌詞は使われていないのだが、そのフレーズの面白さからか、楽曲ではなくコントの中のギャグ「ところがぎっちょんちょん」に活かされているのは大変興味深い。

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ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ♪