小楠公 歌詞と解説 永井建子
『歩兵の本領』や『アムール川の流血や』メロディ原曲とされる楽曲
「小楠公」(しょうなんこう)とは、14世紀日本の南北朝時代における武将・楠木 正行(くすのき まさつら)のこと。父の正成(まさしげ)は「大楠公」。
『小楠公』と題した唱歌や歌曲は数多く存在するが、それらは歌詞やメロディがそれぞれまったく異なる別の曲。
このページでは、『歩兵の本領』や『アムール川の流血や』との関連で、永井建子が1899年(明治32年)に発表した軍歌『小楠公』について、簡単に情報をまとめてみたい。
写真:水野年方画「楠正行弁の内侍を救ふ図」(出典:Wikipedia)
ちなみに、「小楠公」楠木正行に関連する歌といえば、楠木正成・正行が今生の別れを告げた「青葉茂れる桜井の 桜井の訣別・別れ」が有名。
永井建子「鼓笛喇叭軍歌実用新譜」
まず、本ページで対象とする『小楠公』とは、永井建子が1899年(明治32年)に「鼓笛喇叭(こてきラッパ)軍歌実用新譜」 上で発表した軍歌『小楠公』である。
国立国会図書館 デジタルコレクションでは、永井建子「鼓笛喇叭軍歌実用新譜」全ページの画像をネット上で公開しており、『小楠公』のページでは次のような楽譜が掲載されている。
写真:永井建子 軍歌『小楠公』楽譜(出典:国立国会図書館 デジタルコレクション 一部加工・抜粋)
この楽譜には「七五調歌詞にて曲なき長編軍歌はこれにて謡ふべし」と記されている。これはすなわち、「曲がついていない七五調の軍歌があったら、このメロディを使って歌ってください」との意味であり、軍歌の汎用メロディとして自由な使用を認めている。
『小楠公』は自由に使えるメロディとして日本全国に広まり、『歩兵の本領』や『アムール川の流血や』のメロディ原曲とされ、他にも『メーデー歌(聞け万国の労働者)』や、全国の小中学校・高校の応援歌のメロディにアレンジされて活用されている。
歌詞
永井建子『小楠公』には、次のような歌詞が3ページにわたって掲載されている。一例として、冒頭1ページの歌詞を次のとおり引用してご紹介したい。
写真:永井建子 軍歌『小楠公』歌詞(出典:国立国会図書館 デジタルコレクション 一部加工・抜粋)
歌詞(一部抜粋)
楠の大木(おおき)の枯しより
黒雲四方(よも)に塞がりて
月日も為に光なく
悪魔は天下を横行(おうぎょう)し
下(しも)を虐(しいた)げ上(かみ)をさへ
あなどり果(はて)て上とせず
吹き来る風は腥(なまぐ)さく
人馬(じんば)の音は絶間なく
芳野の山に春来れど
花を尋(たず)ぬる人もなし
君か大御代(おおみよ)千代千代(ちよちよ)と
囀(さえず)る鳥の声聞くは
あはれ孰(いず)れの時ならん
なげかわしきの至(いたり)なり
歌詞は使用例(借用)
上写真で紹介した永井建子『小楠公』歌詞の冒頭では、次のような序言が付されている。
本曲譜は七五調にて作りたる長編の軍歌にして、未だ曲なきものにはこの句節にて謡はしむるの作意なれば、ここには小楠公の一編を借りその名称となす
これはつまり、『小楠公』の歌詞はあくまでも汎用メロディを紹介するために既存の楽曲の歌詞を借用したものであり、メロディに歌詞をあてはめた使用例・実例として掲載されているにすぎないことを意味している。
とすると、永井建子が用いた『小楠公』として用いた「既存の楽曲の歌詞」とは、一体どのような楽曲なのだろうか?
この点については、一高同窓会の森下達朗氏が執筆した「一高寮歌解説書の落穂拾い」(その九十七)「『アムール川』の作曲者論争の検証(Ⅲ)」によれば、明治16年頃に発刊された「新体詩歌」所蔵の『小楠公を詠ずるの詩』が原詩だという。
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