津軽じょんがら節(じょんから節)
津軽民謡/津軽よいとこお山が高く 水が綺麗で女がよくて
『津軽じょんがら節(じょんから節)』は、津軽三味線の伴奏ととも歌われる青森県の民謡。『津軽よされ節』、『津軽小原節(おはら節)』に並ぶ津軽三大民謡(津軽三つ物)の一つ。
「じょんがら(じょんから)」の意味・語源については、一説によれば、戦国時代に青森県の浅瀬石城(あせいしじょう)下にあった寺の和尚・常椽(じょうえん)の名前に由来するという(詳細は後述する)。
写真:津軽富士として親しまれる岩木山(いわきさん)/出典:Wikipedia
【YouTube】藤あや子『津軽じょんがら節』
【YouTube】はなわ ちえ 「津軽じょんがら節」 独奏
代表的な歌詞
お国自慢のじょんがら節よ
若い衆唄えば主(あるじ)の囃子
娘踊れば稲穂も踊る
今宵おいでの皆様方よ
さあさこれからじょんから節を
歌いまするよ お聞きをなされ
声はこの通り塩がら声で
調子はずれのこの節廻し
どこがよいやら男が惚れる
津軽よいとこお山が高く
水が綺麗で女がよくて
声が自慢のじょんがら節よ
落城した浅瀬石城下の和尚・常椽
時代は豊臣秀吉が亡くなる1年前の慶長二年(1597年)二月、千徳家の浅瀬石城(または浅石城)は敵の大軍に攻められ落城した。城下の寺も荒らされ、常椽(じょうえん)和尚にも敵の追手が及んだ。
孤軍奮闘するも、所詮は寺の和尚。軍勢の武力にはかなわず、東の山まで追い詰められた常椽和尚は、絶体絶命の状況に覚悟を決め、がけの頂上から浅瀬石川に飛込んで自ら命を絶った。
写真:現在の浅瀬石川
和尚の亡骸は手厚く葬られ…
それから数年後、村の子供等が浅瀬石川の川原で砂遊びをしていると、偶然砂の中から誰かの亡骸が見つかった。大人たちが駆けつけ確認すると、それは浅瀬石城下の和尚・常椽であると分かった。驚いた村人たちは急いで墓を作り、和尚を手厚く葬った。
常椽(じょうえん)の墓が建てられた川原の一帯は、のちに和尚の名前をとって「常椽川原(じょうえんかわら)」と名付けられた。毎年お盆の時期になると、供養と慰霊のために常椽川原に集まり盆踊りが行われたという。
歌で昔を偲んだ村人たち
滅ぼされた浅瀬石城の千徳家は武装解除され、常椽川原(じょうえんかわら)の村人たちは、他大名の支配下で厳しい農作業に従事していたが、かつて栄えた千徳家を偲び、物語を語る「口説節(くどき節)」として過去の歴史を語り継いでいったという。これが今日の「じょんがら(じょんから)節」の由来となっている。
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