ねんねこ しゃっしゃりませ 意味は?
中国地方の子守唄
母親の歌?それとも子守女の歌? 意味と解釈
「ねんねこ しゃっしゃりませ(さっしゃりませ)」が歌いだしの『中国地方の子守唄』は、岡山県に伝わる古い子守歌。
山田耕筰による編曲版が広く知られている。歌詞の意味については後述する。
「中国地方」とあるが、隣国の中華人民共和国(中国)とはもちろん関係がない。
広島県の中国放送、岡山県の山陽放送テレビ、山陰放送ラジオでは、『中国地方の子守唄』が放送終了時(クロージング)の音楽として使われていた。
美空ひばり、夏川りみ、森山 良子、岩崎宏美、芹洋子らがカバーしている。
【YouTube】 ソプラノ:中沢 桂 「中国地方の子守歌」
歌詞:『中国地方の子守唄』
ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて 泣く子の
ねんころろ つらにくさ(面憎さ)
ねんころろん ねんころろん
ねんねこ しゃっしゃりませ
きょうは 二十五日さ
あすは この子の
ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん
宮へ 詣った時
なんと言うて 拝むさ
一生 この子の
ねんころろん まめなように
ねんころろん ねんころろん
「しゃっしゃりませ」の意味は?
「しゃっしゃりませ」とは「さっしゃりませ」が訛ったもので、学研全訳古語辞典によれば、「さっしゃりませ」とは、サ変動詞「す」の未然形に、尊敬の助動詞「さす」と「らる」の付いた「せさせらる」が変化した語であると説明されている。
「ねんねこ しゃっしゃりませ」で、「お眠りくださいませ」といった尊敬語になる。
同様に、町内会での火の用心の夜回りで、「火の用心さっしゃりましょう」、「火の用心さっしゃりませー」と呼びかける掛け声も、上述の「さっしゃりませ」と同じ古語が使われていると考えられる。
子守りの女性?母親?どっち?
かつて江戸時代には、貧しい家庭の娘が裕福な家庭へ住み込み、幼い子供の面倒を見る「子守奉公(こもりほうこう)」が広く行われていた。
有名な『五木の子守唄』は、まさにこの子守奉公の子守女(こもり)を歌った子守歌であり、『江戸の子守唄』でも「坊やの子守はどこいった」と歌われている。
では、『中国地方の子守唄』ではどうだろうか?
「しゃっしゃりませ」が尊敬語であることは上述のとおりだが、子供に対して尊敬語を使う状況としては、子守女が奉公先の子供に対して尊敬語を用いていると考えるのが自然なように思われる。
ただ、2番と3番の歌詞を見ると、「子供が一生まめなように」との願いが描写されている。その願いは、赤の他人の子供を「仕事として」面倒を見ているにすぎない子守女が抱くものではないだろう。
これはどのように考えたらよいだろうか。2番と3番の歌詞の解釈が問題となる。
2番と3番の歌詞を意訳すると…?
2番と3番の歌詞では、一体どんな状況が描写されているのだろうか?
思うに、子守をしているのは最初から最後まで子守奉公の子守女であり、2番と3番の歌詞では、子守女が奉公先の奥様と宮参りの事で会話している様子が描写されていると筆者は考えている。
分かりやすいように2番と3番の歌詞を次のとおり意訳してみよう。
子守「今日は25日ですね」
奥様「明日はこの子の宮参りね」
子守「何と言って拝むんですか?」
奥様「一生この子がまめなようにって」
このように考えれば、『中国地方の子守唄』が最初から最後まで、子守奉公の子守女の視点から描写された歌であると解釈できそうだ。
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