ブラジル独立 イピランガの叫び
『独立か、死か!』ブラジル帝国成立までの歴史
1822年9月、サンパウロからリオデジャネイロへ帰る途中で、ペドロ軍一行はポルトガル議会からの通告書を受け取った。その通告書は次のような内容を伝える事実上の最後通牒だった。
「ポルトガル議会はブラジルの自治を断固否認する。議会の命令に従わない者は一人残らず処罰されるであろう。」
イピランガの叫び『独立か、死か!』
通告書を読み終えたペドロ王子はその場で決意を固めた。彼はイピランガの川岸の丘に上がると、側近らの見守る前で馬にまたがった。
そして力のこもった手でゆっくりと剣を抜き、天に向かって高く突き上げると、ポルトガル議会との決裂とブラジルの独立を高らかに叫んだ。世に言う「イピランガの叫び」の瞬間である。
「友よ、ポルトガル議会は我らを奴隷化し鞭打たんと企んでいる。今日をもって、議会とのつながりは一切断たれた。私の血と名誉にかけて、神に誓い、ブラジルの独立を私は宣言する。ブラジル国民よ、今日から我らはこの言葉の下に集い、この言葉の下に一つとなる。『独立か、死か!』」
ブラジル帝国成立
リオデジャネイロに戻ったペドロ王子は、1822年9月7日、観衆の大歓呼に迎えられながら、ブラジル帝国の独立を宣言した。同年12月1日にはドン・ペドロ1世として正式に皇帝の地位についた。
上挿絵:観衆の大歓呼に迎えられるペドロ王子
1825年には、ポルトガルに絶大な影響力をもつイギリスがブラジルの独立を承認。さらにアメリカの介入を警戒して、イギリスはポルトガルにもブラジルを承認させた。
ブラジル独立までの歴史
- ポルトガルのブラジル遷都 ナポレオン戦争
- ナポレオン(フランス)に追い出されてポルトガルは植民地ブラジルへ遷都
- イギリスがポルトガルを占領
- ブラジルへ遷都後、本国ポルトガルがイギリスに占領されてしまう
- ペドロ1世(ブラジル)とポルトガル
- イギリスを追い出したけど、ブラジルからペドロ王子が帰ってこない
- ブラジル独立 イピランガの叫び <このページ>
- ポルトガル議会『独立は許さん』 ペドロ王子『独立か、死か!』
- イピランガ公園の独立記念像
- 「イピランガ」とは「赤い川」を意味している
ブラジル関連ページ
- ブラジル国歌
- イピランガの川岸から聞こえる 鳴り響く勇者達の雄叫び