イギリスがポルトガルを占領

イベリア半島戦争にイギリスが介入

ポルトガル王室がブラジルへ遷都後、フランスはポルトガル首都リスボンを占領したが、衛星国スペイン国内にも数多くのフランス軍を駐留させた。

ナポレオンは機に乗じてスペイン王家を追放、兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王位につくと、1808年5月、スペインのマドリードで反乱が起き、スペイン独立戦争(半島戦争)が勃発する。

するとこの半島戦争にイギリスが介入。1808年8月にイギリス軍少将ウェルズリー率いる部隊がポルトガルに上陸し、ポルトガルの将軍と合流すると、フランス軍をポルトガルから撤退させることに成功。以後ポルトガルの守りを固めてフランス軍の猛攻をはねのけ続けた。

イギリスに占領されたポルトガル

ナポレオン戦争終結後(1815年)、イギリス軍はポルトガルにそのまま駐留を続け、ベレスフォード将軍(General William Beresford)(右挿絵)の指揮の下、ポルトガルはイギリスの軍政下におかれた。

イギリスの保護国となったポルトガルは、イギリスに有利な条件で貿易が行われ、ポルトガルの都市部における商業に大打撃を与えた。最も被害を被った都市部のブルジョワジーらはイギリスに対して大きな不満を抱くようになる。

1817年には、ポルトガルの主権回復を目論んだ秘密組織のリーダーら12人が反逆罪で処刑されると、イギリスへの反感は激しく高まり、独立運動への機運はポルトガル中に広がって、数年後の自由主義革命へとつながっていくことになる。

ポルトガル自由主義革命

1820年10月、ポルトガルの守備兵らがクーデターを起こして臨時政府を設立、ブラジルとの連合王国からの摂政を追放し、憲法制定に向けてポルトガル議会コルテス(Cortes)を招集した。ポルトガル自由主義革命の勃発である。

上挿絵:復活したポルトガル議会コルテス(Cortes)

反乱軍は、イギリスのベレスフォード将軍がブラジルに出国している間に首都リスボンを掌握、以後の再上陸を阻むことで、イギリス軍を首都から追放することに成功した。イギリスは当時、アメリカの介入を恐れてポルトガルへの大きな軍事的行動を控えていた。

ブラジル独立までの歴史

ポルトガルのブラジル遷都 ナポレオン戦争
ナポレオン(フランス)に追い出されてポルトガルは植民地ブラジルへ遷都
イギリスがポルトガルを占領 <このページ>
ブラジルへ遷都後、本国ポルトガルがイギリスに占領されてしまう
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イギリスを追い出したけど、ブラジルからペドロ王子が帰ってこない
ブラジル独立 イピランガの叫び
ポルトガル議会『独立は許さん』 ペドロ王子『独立か、死か!』
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「イピランガ」とは「赤い川」を意味している

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