イギリスの植民地 ビルマ
世界史・国際関係トピックス
ビルマ王朝はイギリスに1885年に滅ぼされ、翌年にイギリス領インドに併合された。
併合後はイスラム教徒のインド人や華僑が流入、周辺の民族はキリスト教に改宗させて、ビルマは多民族多宗教国家となり、ビルマ人は最下層の農奴とされた。
イギリスに対するビルマ人の初期の独立運動は、第一次世界大戦(1914年)から世界恐慌(1929年)の頃にかけて、若い知識層を中心に広がっていった。
1930年には農民らによる比較的大規模な武装蜂起が生じたが、翌年半ばには鎮圧されてしまう。
ビルマで本格的な独立運動が起こるのは、日本軍が援蒋ルートの遮断などを目的として南進した1941年以降のビルマ戦役以降のこと。
東南アジアは列強の植民地
当時の東南アジア諸国は、イギリス・フランス・オランダによる植民地として奴隷的な支配を受けていた。
イギリスはタイ(右挿絵の黄色い領域)の西側とマレー半島、フランスは東側の諸国を、オランダはインドネシアをそれぞれ植民地化していた。
タイが植民地化を免れたのは、フランス・イギリス両国の緩衝地帯(バッファーゾーン)としての意味合いが強い。
後にフランス本国がドイツに侵攻され弱体化すると、イギリスはタイへ侵攻を開始する。詳しくはタイ国歌のページで。
ミャンマー(ビルマ)の歴史
- イギリスの植民地ビルマ <このページ>
- ビルマ王朝はイギリスに1885年に滅ぼされた
- ビルマ独立運動とアウンサン
- イギリスに狙われたアウンサン日本へ 特殊訓練後ビルマへ再潜入
- アウンサンの夢 ビルマ連邦誕生
- イギリスに裏切られたアウンサン 真のビルマ独立へ
- アウンサンから鈴木大佐への感謝の言葉
- たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない
関連ページ
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