アウンサンの夢 ビルマ連邦誕生
世界史・国際関係トピックス
1943年8月1日、バー・モウを首相とするビルマ国建国が宣言され、ビルマは名目的な独立を果たした。
写真:ラングーン市内を行軍する鈴木大佐ら
ビルマ防衛軍は国軍「ビルマ国民軍(BNA)」に移行し、アウンサンが国防大臣に就任。後任の軍司令官にはネ・ウィン大佐(後のビルマ大統領)が就くなど、独立義勇軍初期からの面々が要職を占めた。
イギリスによる再支配 独立を求めるアウンサン
太平洋戦争終結後、イギリスにより再びビルマの植民地支配が始まった。連合国側は大戦中、ビルマ独立をエサに抗日運動を裏で支援していたが、終戦後にビルマを独立させるつもりは最初からまったくなかったのだ。
1946年1月、アウンサンは軍を去った後、イギリスに対してビルマの自治を強く要求し続けた。英領ビルマ政府の要職も用意されたが、アウンサンは以前として反イギリス・独立主義者であり続けたため、イギリスからの反感は次第に高まっていった。
ビルマ連邦誕生 アウンサンの夢が現実に
ついに1947年1月27日、長きにわたる地道な交渉の結果、アウンサンはイギリス首相クレメント・アトリー(右写真)と「アウンサン・アトリー協定(Aung San-Attlee Treaty)」に調印。この協定により、1年以内のビルマ完全独立が約束された。
1948年1月4日、同協定に従い、ビルマ連邦として名実ともにイギリスからの独立を果たした。しかし、アウンサンが長年夢見たその日を、彼自身が生きて迎えることはできなかった。
アウンサン暗殺 黒幕はイギリス?
念願の独立達成まで約半年となった1947年7月19日、政敵であり前首相のウーソー(U Saw)(ウ・ソオ)ら一味に襲撃され、アウンサンは他の独立派6人の閣僚とともに悲劇の最期を遂げた。享年32歳。
アウンサン暗殺の黒幕はイギリスであり、ウーソーはその表の犯人としてうまく利用されたとの見解が有力に唱えられている。
実際、犯行後にウーソーが逮捕・起訴された直後、イギリス陸軍将校のデイヴィッド・ヴィヴィアン(David Vivian)が武器横流しの罪で懲役5年の刑を受けている。イギリス将校が誰に指示されたのか、その背後関係については現在でも謎に包まれている。
ミャンマー(ビルマ)の歴史
- イギリスの植民地ビルマ
- ビルマ王朝はイギリスに1885年に滅ぼされた
- ビルマ独立運動とアウンサン
- イギリスに狙われたアウンサン日本へ 特殊訓練後ビルマへ再潜入
- アウンサンの夢 ビルマ連邦誕生 <このページ>
- イギリスに裏切られたアウンサン 真のビルマ独立へ
- アウンサンから鈴木大佐への感謝の言葉
- たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない
関連ページ
- ミャンマー国歌
- ミャンマーを永遠に愛さん 我らが祖先の地ミャンマーを