一日千秋(三秋) なぜ秋? 意味・由来
中国の「一日三秋」に由来する日本のことわざ
「一日千秋」(いちじつ せんしゅう)とは、一日会えないだけで何年にも感じられるほどに、人や物事の到来を強く待ち望む強い気持ちを表すことわざ。
使い方としては、「一日千秋の思い(想い)」と使われることが多い。「千秋」の「千」は、一攫千金や千客万来などと同じく、数が多いことを表すたとえ。
起源は、中国の古い漢詩の一節「一日三秋」(いちじつ さんしゅう)」に由来している。
それにしても、なぜ「秋」なのだろうか?この点については、「一日三秋」が登場する漢詩の原文全体とその意味を見ていく必要がある。
なお、秋に関連する他のことわざについては「秋のことわざ 意味・由来」でまとめているので、こちらも是非ご覧いただきたい。
「一日三秋」漢詩の意味
「一日千秋」の元となった「一日三秋」は、中国最古の詩篇「詩経(しきょう)」に収録された「采葛(さいかつ)」という漢詩に由来している。
「采葛」とは「葛(クズ)を採る」という意味。三つの章から成る。全文と意味は次のとおり。写真はクズの花(出典:Wikipedia)。
彼采葛兮
一日不見
如三月兮
あの葛(クズ)を採る(摘む)人に
一日会わなければ
まるで三か月過ぎたようだ
彼采蕭兮
一日不見
如三秋兮
あの蕭(かわらよもぎ)を採る(摘む)人に
一日会わなければ
まるで三度も秋が過ぎたようだ
彼采艾兮
一日不見
如三歳兮
あの艾(よもぎ/もぐさ)を採る(摘む)人に
一日会わなければ
まるで三年過ぎたようだ
三秋(さんしゅう)の意味は?
上述の漢詩「采葛(さいかつ)」における「三秋(さんしゅう)」の意味については、複数の解釈ができる。
中国の太陰太陽暦では秋は七月から九月までの三か月を指すが、三か月の秋が三つ分で「九か月」を「三秋」と解釈したり、秋の到来を一年と考えて「三秋」を「三年」と意味づけることも出来るだろう。
ただ、「三秋」を三年と解釈した場合、次の章の「三歳(さんさい)」が同じく三年となって変化がなくなってしまう。
また、「三秋」を七月から九月までの三つの秋、すなわち初秋、仲秋、晩秋の三か月と解釈してしまうと、今度は前の章の「三月」と同じになってしまう。
「三月」と「三歳」の中間であることを重視すれば、秋三回分の期間=9か月と解釈して前後との重複を回避したいところだが、数字的にちょっと中途半端な感じは否めない。
この点、中国には「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)」という言葉があり、そこでは「秋」も「歳」も同じ「年」の意味で使われていることから、「三秋」も「三歳」も同じ「三年」の意味で解釈して良いように思われる。
ちなみに、初秋、仲秋、晩秋の三か月を意味する「三秋」の真ん中の月である仲秋(ちゅうしゅう)は、陰暦8月15日の「仲秋の名月」の名前の由来になっている。
なぜ秋なのか?
「一日千秋」では、なぜ「秋」が使われているのだろうか?中国における「秋」の使われ方についての一例を見てみよう。
画像:諸葛亮孔明(出典:コーエー三国志13Webサイトより)
中国では、秋は収穫の時期であり、一年で最も重要な時と考えられていた。三国志の諸葛亮孔明は、「秋」を用いた次のような言葉を主君・劉禅に奏上している。
今、天下三分し、益州疲弊せり。これ危急存亡の秋(とき)
諸葛亮孔明は、国が存続するか、滅亡するかの危機的状況を主君に理解してもらうため、重要な時期を表す言葉として「秋」を使ったようだ。
この他にも中国では、多事多難の時を意味する「多事之秋」という成語もあり、「秋」を大事な時期の意味で用いることは昔から一般的なことだったのだろう。
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