アメリカの母の日 起源・由来まとめ
キリスト教の慈愛の精神で国難を支えた母の偉業を称える記念日
アメリカにおける5月の記念日「母の日(the Mother's Day holiday)」は、一体どのような歴史的経緯で誕生したのだろうか?その起源・由来について簡単にまとめてみた。
なお、日本における母の日については、こちらのページ「母の日 起源・由来・歴史まとめ」でまとめている。
また、子供の日・端午の節句、こいのぼり、母の日、八十八夜、田植え、立夏、ゴールデンウィークなど、5月の年中行事・季節のイベントはこちら。
アメリカ南北戦争と母の日
アメリカにおける母の日のルーツ・由来としては、1861年から1865年にかけて起こったアメリカ史上最大の内戦「アメリカ南北戦争 American Civil War」が大きな歴史上のきっかけとなっている。
写真:アメリカ南北戦争を再現した模擬戦闘(出典:Steve Estvanik©123RF)
女性の社会活動家アン・ジャーヴィス(Ann Jarvis/1832-1905)は、メソジスト教会の聖職者であった父親の影響から、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称し、敵味方を問わず、双方の兵士に衣食を供給し、慈愛の精神をもって負傷兵を看護した。
戦争終結後も、アン・ジャーヴィスは双方の兵士らと家族のために「マザーズ・フレンドシップ・デー(Mothers Friendship Day)」を計画。内戦で分断されてしまったアメリカにおいて、統一と和解のメッセージを叫び続けた。
彼女はその後、アンドリュース・メソジスト監督教会(Andrews Methodist Episcopal Church)の建築にかかわり、以後長きにわたって同協会での日曜学校で社会活動を続けた。
アン・ジャーヴィスは、1905年5月8日、4人の子らに囲まれてこの世を去った。
母の死後、娘アンナが教会で記念礼拝
母アン・ジャーヴィスの死後、娘アンナは、母の偉業を称え、それを後世に伝えようと、母が活動していたメソジスト教会での記念礼拝を計画する。
1907年5月に最初のプライベートな礼拝が行われ、その翌年の1908年5月10日には、最初の公式な礼拝が開催された。
写真:現在のアンドリュース・メソジスト教会(出典:Wikipedia)
1908年5月の公式礼拝にはアンナ・ジャーヴィスは礼拝に出席しなかったが、出席者全員のために500本の白いカーネーションが教会へ寄付された。
これが今日のアメリカにおける「母の日」のルーツ・起源とされている。
メソジスト系の青山学院を通じて日本へ
アンドリュース・メソジスト教会で行われた「母の日」記念礼拝は、1913年(大正2年)の日本において、同じくメソジスト派のミッションスクールである青山学院の教会にも伝えられた。
「母の日」創始者のアンナ・ジャービスからも、青山学院に直接メッセージが届いたという。この青山学院における礼拝が、日本における正当な「母の日」のルーツと言えるだろう。
商業イベント化した母の日
その後にアメリカ国内で正式な記念日となった「母の日」だが、カーネーションが高値で取引されたり、「母の日カード」が大々的に売り出されたりと、クリスマス商戦のような商業イベントとして利用されていった。
慈愛の精神で活動した母の功績を称えるべき記念礼拝の日を、金儲けの商業イベントとして利用されてしまったアンナ・ジャービスは憤慨し、差し止め裁判を起こすなどしてこれらの商業的便乗に歯止めをかけようとしたが、結局資本主義の力には太刀打ちできなかった。
アンナが提唱した当初の崇高な理念から比べれば、いささか商業的なイベントとなってしまった感のある「母の日」だが、母親への敬意と感謝の気持ちを表すきっかけとしては、今日においても重要な役割を果たしているといえるだろう。
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