百万本のバラ 歌詞と解説 加藤登紀子

ロシア歌謡曲/加藤登紀子の日本語カバーで有名

『百万本のバラ Миллион роз』は、ソビエト連邦の女性歌手アーラ・プガチョワ(Алла Пугачёва)が1982年にリリースしたロシア語の歌謡曲(カバー曲)。原曲はラトビアの歌謡曲(後述)。

日本でも1983年に最初の日本語カバー『百万本のバラ』が発売され、その後も数多くの歌手によりカバー盤がリリースされたが、特に1987年の加藤登紀子による訳詞・歌唱バージョンが人気を博した。

【YouTube】ロシア語版 アラ・ブガチョワ『百万本のバラ』

【YouTube】原曲 『マーラが与えた人生 Dāvāja Māriņa

歌詞

小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

ある朝 彼女は 真っ赤なバラの海を見て
どこかの お金持ちが ふざけたのだとおもった
小さな家とキャンバス 全てを売ってバラの花
買った貧しい絵かきは 窓のしたで彼女を見てた

百万本のバラの花を
あなたはあなたはあなたは見てる
窓から窓から見える広場は
真っ赤な真っ赤なバラの海

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの思い出は 心にきえなかった

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

ロシア語の歌詞の内容は?

ロシア語版『百万本のバラ』の歌詞は、グルジアの画家ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani/1862-1918)が残したラブロマンスの逸話が元になっている。

ピロスマニは、1894年に彼の町を訪れたフランス人女優マルガリータとロマンチックな出会いをした。マルガリータへの愛を表現するために、彼はマルガリータの泊まるホテルの前の広場を大量のバラの花で埋め尽くしたという。

このエピソードは、後にソ連の詩人アンドレイ・ヴォズネセンスキーによってロシア語版『百万本のバラ』の歌詞として作詞され、同曲はソ連で大ヒットとなった。

なお、フランス人女優マルガリータは本当に実在したのか、ピロスマニとどういった関係だったのか、本当に大量のバラの花を贈ったのか等については、作詞者の創作ではないかとの異説も少なからずあるようだ。

原曲のラトビア語の歌詞の内容は?

原曲のラトビア語『百万本のバラ』の歌詞は、ロシア語版のそれとはまったく趣が異なる。というよりも、ロシア語版は原曲の歌詞を完全に差し替えたものなので、両曲の歌詞の内容には共通点は見られない。

写真はラトビアの首都リガ(リーガ)。「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で、旧市街は世界遺産に登録されている。

原曲『マーラが与えた人生 Dāvāja Māriņa

原曲で描かれるのは、ラトビア地方に伝わる聖母マーラ。その曲名は『マーラが与えた人生 Dāvāja Māriņa』(ダバヤ・マリニャ/ダヴァヤ・マリニャ)。1981年にラトビアの放送局「ミクロフォンス (Mikrofons)」が主催する歌謡コンテストの優勝曲。

ロシア帝国やソ連、スウェーデン、ポーランドなどの周辺国に蹂躙され続けた歴史を持つ小国ラトビア。原曲『マーラが与えた人生』の歌詞では、「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」と繰り返され、聖母マーラはラトビアと言う国家を産んだものの、その運命は苦難の連続であったことが暗示されている。

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