串本節 くしもとぶし 和歌山県民謡
ここは串本 向かいは大島 ハァ オチャヤレ♪
『串本節(くしもとぶし)』は、和歌山県の最南端に位置する串本地方の民謡・お座敷歌。囃子ことばの「オチャヤレ」から『オチャヤレ節』とも呼ばれた。
歌詞では、串本港から見える紀伊大島や、串本の市街地から陸続きの潮岬(しおのみさき)、明治6年に建てられた潮岬灯台など、串本沿岸の自然や地名が歌いこまれている。
写真:潮岬灯台空撮(出典:Wikipedia)
このページでは、串本節の歌詞の一例と、歌詞に登場する紀伊大島・潮岬・灯台などについて簡単にまとめてみたい。
ちなみに、1890年(明治23年)には、紀伊大島の沿岸でオスマン帝国(トルコ)のエルトゥールル号が遭難した事件が発生。日本とトルコの友好関係のきっかけとなった(後述)。
【YouTube】串本節(音丸)レコード音源
【YouTube】串本節 踊り
歌詞の一例
ここは串本 向かいは大島
仲をとりもつ 巡航船
アラ ヨイショ ヨイショ
ヨイショ ヨイショ ヨイショ
ハァ オチャヤレ
潮岬(しおのみさき)に灯台あれど
恋の闇路(やみじ)は 照らしゃせぬ
障子あくれば 大島ひと目
なぜに佐吉は 松のかげ
<参照:和歌山県ふるさとアーカイブ>
潮岬(しおのみさき)
『串本節』の歌詞に登場する潮岬(しおのみさき)は、串本町の市街地と砂州(さす)で繋がった陸続きの岬。和歌山県の最南端であるとともに、本州の最南端でもある。
写真:潮岬からの眺望(出典:Wikipedia)
潮岬の南西には、1873年(明治6年)に建てられた潮岬灯台がある。当初は木造で、5年後に現在の石造灯台に改められた。
台風がよく通過する地域であり、テレビの気象情報・お天気コーナーでは、潮岬が台風の位置を示す指標にされることがある。
紀伊大島
『串本節』の歌詞「ここは串本 向かいは大島」の「大島」とは、潮岬の東側に位置する紀伊大島のこと。海釣りやスキューバダイビングなどの観光客も多い。
串本町と紀伊大島は巡航船で結ばれていたが、1999年(平成11年)の「くしもと大橋」完成後、串本フェリーとともに廃止された(現在では観光船)。
写真:紀伊大島(出典:Wikipedia)
海金剛(うみこんごう)
紀伊大島・鷹ノ巣岬の断崖には、海金剛(うみこんごう)と呼ばれる海岸線がある(吉野熊野国立公園の一角)。
海金剛は、森林文化協会「21世紀に残したい日本の自然百選」に選ばれている。
写真:海金剛(和歌山県串本町/出典:Wikipedia)
エルトゥールル号遭難事件
1890年(明治23年)には、紀伊大島沖で紀伊大島の沿岸でオスマン帝国(トルコ)のエルトゥールル号が遭難した事件が発生。
500名以上の犠牲者を出したが、串本町の住民が懸命な救護活動を行い、69名の救出に成功した。
この遭難事件をきっかけに、日本とトルコには長年の友好関係が醸成された。紀伊大島の樫野埼灯台そばには慰霊碑とトルコ記念館が建てられており、串本町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われている。
この日本とトルコの友好関係が、後のイラン・イラク戦争における日本人救出劇のドラマへとつながっていくことになる(詳細はこちら「日本とトルコの友好・絆 エルトゥールル号遭難事件」)。
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