秋の子

日本の童謡/どこかで焼き栗やいている つばきを飲む子は何人だろう

「すすきの中の子 一二の三人」が歌い出しの童謡『秋の子』は、1954年に刊行された雑誌「アサヒグラフ」の記事「新童謡歳時記」に楽譜付きで掲載された童謡。

作詞は、童謡『ちいさい秋みつけた』、『うれしいひなまつり』、『リンゴの唄』などで知られるサトウハチロー(1903-1973)。

作曲は、元・東京大学農学部水産学科教授の末広 恭雄(すえひろ やすお/1904-1988)。皇太子時代の昭和天皇に生物学を御進講する大役を務めたほか、神奈川県三浦市の水族館・京急油壺マリンパークの館長として「サーカス水族館」の一時代を築いた。

【試聴】童謡 『秋の子』

魚の博士がなぜ作曲?

東大の魚博士と作曲活動という二つの活動領域は、一般的に考えればなかなか結び付きにくい関係に思われるが、末広氏の幼少時代は、むしろ音楽との接触が彼にとって大きな位置を占めていた。

末広氏の母親は、子守唄がわりにオルガンを弾いて寝かしつけていたほどの音楽好きだったという。幼稚園に入るとドレミファの指使いを教え、さらに毎年、上野音楽学校の定期演奏会へ末広氏を連れて行っていた。

音楽教師は田村虎蔵

末広氏が小中学校の頃の音楽の先生は、なんと『浦島太郎』、『花さかじじい』などの唱歌を作曲したあの田村虎蔵。音楽好きの母親により音楽の素養があった末広氏は音楽教師の田村虎蔵に感化され、既に小学校高学年で作曲の真似事を始めていたという。

中学校に進学すると、なけなしの小遣いでレコードを買いあさり、音楽の専門書も手に入れて作曲の基礎を熱心に勉強。将来は作曲家になることも真剣に考えていた。

山田耕筰の自宅にも出入り

東大農学部水産学科に在学中も作曲活動を継続。公募への当選をきっかけに弘田龍太郎の門下になり、後に山田耕筰の自宅にも出入りするほどの音楽関係の人脈を築いていった。

童謡『秋の子』を作曲する1年前の1953年には、東京大学学生歌として今日も歌われる『足音を高めよ』を作曲。この年から数年間、末広氏は水産関係の研究の傍ら、並行して本格的な童謡の作曲活動にも取り組んでいくことになる。

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