「見渡せば」の歌詞が定着しなかった理由

要因② 戦闘歌・軍歌として別の歌詞がつけられて広まった

明治後半から大正時代にかけて、日本を含めた世界全体が戦火に包まれる時代を迎えていました。日清戦争(1894-1895)、日露戦争(1904-1905)、第1次世界大戦(1914-1918)、満州事変(1931年)、そして第2次世界大戦(1939-1945)に至るまで、数々の戦闘が繰り広げられていました。

日本においても戦時ムードが高まるにつれて、唱歌などの楽曲はその時代を色濃く反映したものに変容していきます(写真:ソビエト連邦の戦車T-34と赤軍兵士)。

明治28年(1895年)6月に刊行された『大東軍歌』という軍歌集では、その第一巻ともいうべき「雪之巻」において、『ルソーの夢』の旋律を用いた『戦闘歌』という軍歌が掲載されています。

見渡せば 寄せて来(きた)る
敵の大軍 面白や
スハヤ戦闘(たたかい) 始まるぞ
イデヤ人々 攻め崩せ
弾丸込めて 撃ち倒せ
敵の大軍 撃ち崩せ

要因③ 幼児教育の遊戯曲としての度合いを深めていった

さらに、明治35年に刊行された書物によれば、この戦闘歌『見渡せば、寄せて来る』が兵庫県御影師範学校附属小学校で遊戯として用いられていたことが明らかになっています。この点に関して「むすんでひらいて考」(海老沢敏/岩波書店)の記述を引用します。

「一隊の児童を円形にし、各生の間隔は、左右手を繋ぐまでにしておく。「用意」で各手を垂れ、円の中心に向う。見ワタ・・・で各生は右手を額上に上げ同時に蹠をあげて、爪立ちになる・・・セバ・・・で手も足も旧位置に復する。寄セ来ル・・・で全児童各手を繋ぎ右(左)方向に回転する。敵ノ軍艦・・・手の繋ぎを解き右手を挙げて前方を指す。面白ヤ・・・両手の掌を拍ち愉快の情を現わす・・・」

当時の時代的背景から考えると、こうして軍歌を小学生の遊戯曲として用いられていたという事実には、純粋に小学生の情操教育的・保健体育的な目的というよりは何か軍事的な意図が見え隠れしている感は否めません。

こうして、小学唱歌として「見渡せば」の歌詞をつけられた「ルソーの夢」のメロディーは戦時中の幼稚園遊戯曲としての色合いを濃くしていき、ますます当初の「見渡せば」の歌詞との乖離の度合いを深めていくことになったのです。

終戦と「むすんでひらいて」

1945年に第2次世界大戦が終結すると、軍歌としての「ルソーの夢」は、また改めて小学唱歌としての位置付けを回復することになりますが、その時にはもはや「見渡せば」の歌詞とは全く異なる姿、すなわち、あのお馴染みの「むすんでひらいて」の歌詞に変わって登場することになります。

文部省が昭和22年5月に刊行した終戦後最初の音楽教科書である『一ねんせいのおんがく』では、その4曲目として「見渡せば」の歌詞ではなく「むすんでひらいて」としてこの曲を掲載しています。

この教科書では作詞者は不明とされており、しかもいつ「むすんでひらいて」という歌詞がこのメロディーにつけられたのかについては海老沢先生の著書でも明らかにはなっていませんが、少なくとも「むすんでひらいて」という歌詞が、終戦直後に文部省によって刊行されたこの教科書によって、「見渡せば」の歌詞にとってかわるものとして位置付けられるようになったのは確かなようです。

このようにして、日本における『ルソーの夢』の旋律は、明治初期から中期にかけて、教育の場では小学唱歌「見渡せば」として広まった後、明治末期から昭和初期にいたる戦時下において軍歌として、そして幼児教育・保育運動の中で遊戯唱歌として、広く日本に広まっていきました。特に明治後半からは遊戯唱歌としての度合いを次第に強めていき、広く幼い子供達の世界に浸透していったようです。

ここまででざっと「ルソーの夢」が「むすんでひらいて」にたどり着くまでを見てきましたが、実はこの「ルソーの夢」は、「見渡せば」が日本に輸入された時期と前後して、今までの説明とはまた別のルートで日本にこのメロディーが輸入され、しかも「見渡せば」とはまた別の歌詞をつけられて別の場所である時期に盛んに歌われていたのです!そしてこの「別ルート」を解明するカギは、どうやらあの「讃美歌」が握っているようなのです。

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むすんでひらいての謎 目次

むすんでひらいての謎
むすんでひらいての謎 ★試聴あり
  1. 様々な顔を見せる不思議な童謡
  2. ルソーと「村の占師」
  3. 小学校唱歌 「見渡せば」
  4. ルソーの夢
  5. 「ルソーの夢」と「村の占師」を結びつけるもの~まとめ
  6. なぜ「見渡せば」が定着しなかったのか?その1
  7. なぜ「見渡せば」が定着しなかったのか?その2
  8. 賛美歌としての「むすんでひらいて」
  9. アメリカ民謡としての「ルソーの夢」

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