おてぶしてぶし 歌詞の意味
ヘビの生焼け カエルの刺身?!ちょっと不気味な歌詞の遊び歌
『おてぶしてぶし』は、保育園でよく歌われる日本のわらべうた・遊び歌。「てぶし」とは「手節」、ここでは手を軽く握った状態を意味する。
遊び方は、両手をグーの形に軽く握って、どちらか一方に小物を隠し持った状態で、『おてぶしてぶし』を最後まで歌い、最後にどちらに入っているかを当てる。
どっちの手に入ってるか当てる遊び歌『おてぶしてぶし』。こう聞いただけでは、特に何の引っ掛かりもないが、問題はその歌詞にある。
『おてぶしてぶし』の歌詞では、「ヘビの生焼け」、「カエルの刺身」という、人間にとって一般的にちょっと不気味なものが、「てぶしのなかに」、つまり手の中に入っているという内容のストーリーが展開されているのだ。
一体なぜこのような不気味な歌詞がつけられたのだろうか?この歌には一体どのような意味があるのだろうか?
まず最初に『おてぶしてぶし』の歌詞の内容を確認した上で、ヒントになりそうな類似のわらべうた・遊び歌の歌詞と比較しながら、その意味・内容について簡単に考察してみたい。
【YouTube】 おてぶし てぶし
歌詞
まずは『おてぶしてぶし』の歌詞を次のとおり引用して、その内容を簡単に確認してみたい。
おてぶしてぶし
てぶしのなかに
へびのなまやけ
かえるのさしみいっちょうばこやるから
まるめておくれいや(いーや)
どーっちだ?
この歌詞を見て明らかなように、問題の「へびのなまやけ(ヘビの生焼け)」、「かえるのさしみ(カエルの刺身)」の部分が独特の雰囲気を醸し出している。
しかもこれらが「てぶしのなかに」、つまり手の中に入っている状態のように歌われているため、その不気味さ・気持ち悪さがいっそう引き立っている。ヘビやカエルが苦手な人にとっては、あまり具体的に想像したくない描写だろう。
「いっちょうばこ」とは?
国立国会図書館レファレンス協同データベースの解説によれば、「いっちょうばこ」とは漢字で「一丁箱」と書き、「大切にしている箱」という意味があるようだ。
箱自体を大切にしているのか、大切な中身が入った箱なのか、どちらか定かではないが、いずれにしても大事な箱なのだろう。
歌詞では、そんな大事な箱を交換条件にしなければならない状況となっており、頼んでいる側がかなり追い詰められて必死な状況が想像できる。
歌の内容は?
同じく国立国会図書館レファレンス協同データベースの解説によれば、『おてぶしてぶし』の歌詞の内容は、次のような意味合いがあるという。次のとおり該当箇所を引用する。
『いっちょばこ(大切にしている箱)をやるから、気持ちの悪いものをしまって!』と、 人のいやがるものを遊びにして、子供のエネルギーを解放します
これは、佐藤美代子著「目あそび・手あそび・足あそび なにしてあそぶ?わらべうた」(出版社:草土文化)からの抜粋として紹介されている解説である。
「まるめておくれ」の意味は?
この解説によれば、歌詞の「まるめておくれ」とは、(気持ちの悪いものを)「しまってくれ」という意味になるが、「まるめて」という言葉には「しまう」を意味する使われ方があるのだろうか?
どこかの方言だとしても、残念ながら筆者はそのような方言を聞いたことがないので、この解説の解釈が正しいかどうかの判断が出来なかった。
イジメになりかねない?
また、この解説では「人のいやがるものを遊びにして」とあるが、それは単なる「イジメ」になってしまうのではないだろうか?
「子供のエネルギーを解放します」とあるが、イジメてる方はエネルギーが解放できてさぞ楽しいだろうが、イジメられてる方はたまったものではない。
やはり、「人のいやがるものを遊びにして」という解釈には無理があるように思われるし、仮に解釈として成り立つとしても、それを歌にして楽しく遊ぶなどというのは、現代的な倫理観からして受け入れにくい。少なくとも保育の場で「嫌がらせの歌」の解釈を取り入れるのは難しいだろう。
ヘビやカエルが問題にならない解釈
では、『おてぶしてぶし』の歌詞において、相手へのイジメにならないような、ヘビやカエルが歌の相手にとって嫌がらせにならない解釈は可能だろうか?
もし、逆にヘビやカエルが「大好物」な何かと話している歌だとしたら、その内容もまったく逆のストーリーとして解釈できるのではないだろうか?
思うに、筆者の私見では、これは人間の子供と「キツネ」が会話する内容の遊び歌・わらべうたなのではないかと考えている。
しかも、元々はお手玉歌やてまり歌、ゴム飛び歌、または鬼ごっこの前に歌うわらべうたであった可能性も想像できる。
実は、キツネと人間が会話する形式のわらべうた・遊び歌は少なからず存在する。現代でも有名なものとしては、『今年の牡丹はよい牡丹』、『ひとやまこえて(一山越えて)』などが知られている。簡単にこの2曲の歌詞を見てみよう。
今年の牡丹はよい牡丹
まずは、「お耳をからげて スッポンポン♪ 誰かさんの後ろにヘビがいる♪」のフレーズで知られる『今年の牡丹はよい牡丹』から、『おてぶしてぶし』との関連性がうかがわれる歌詞を次のとおり抜粋する。
オニ 私(僕)帰る
コドモ どうして
オニ 晩ごはんだから
コドモ おかずはなあに?
オニ カエルとナメクジ
この歌では、子供と鬼(元々はキツネ)の会話の中で、鬼が食べる晩ごはんのおかずとして、カエルとナメクジが登場している。
「いや」のルーツ?
また、『おてぶしてぶし』の歌詞の最後で「いや」と拒絶しているが、『今年の牡丹はよい牡丹』の歌詞でも、鬼(キツネ)との会話で人間が何度も「いやだ」と拒絶する場面が繰り返し歌われている。該当箇所の抜粋は次のとおり。
オニ 入れて
コドモ いや
オニ どうして?
コドモ しっぽがあるから
オニ しっぽ切ってくるからいれて
コドモ 血がでるからいや
こうしたやりとりが長く続けられ、最後に条件が折り合って「それならいいよ」と締めくくられる。おそらく、『おてぶしてぶし』もこのようにキツネと長いやりとりをする遊び歌だったのではないだろうか。
ひとやまこえて(一山越えて)
次に、鬼ごっこの直前に歌われたキツネの歌『ひとやまこえて(一山越えて)』の歌詞から、『おてぶしてぶし』との関連性が垣間見える箇所を次のとおり抜粋する。
皆:きつねさん きつねさん
遊ぼうじゃないか鬼:いまご飯を食べる最中
皆:おかずはなぁに
鬼:ヘビとカエル
この歌では、はっきりと「きつねさん」としてキツネとの会話であることが明示されている。そしてキツネのご飯(おかず)として、『おてぶしてぶし』と同じく「ヘビとカエル」が登場している。
ちなみに、この歌が現代の保育園で歌われる場合、キツネではなくタヌキのうたとして替え歌されて歌われることが多いようだ。
まとめ・筆者の私見
現代の『おてぶしてぶし』は、どっちの手に入ってるか当てるだけの短い遊び歌として定着しているが、元々は『今年の牡丹はよい牡丹』や『ひとやまこえて(一山越えて)』と同じように、鬼(キツネ)と子供が長く会話する形式のわらべうただったのではないだろうか?
そして元々の遊び方も、お手玉歌やてまり歌、ゴム飛び歌、または鬼ごっこの前に歌う遊び歌であった可能性が考えられる。
「ヘビの生焼け」、「カエルの刺身」については、人間に対する嫌がらせの意味合いはなく、元々は鬼役のキツネの好物として登場していた名残ではないかと推測される。
これらをキツネの好物として解釈する場合、「まるめておくれ」という歌詞は文字通り、「ダンゴのように丸めて僕にください」といったような意味合いになるだろうか。
そして、その対価として提案した一丁箱は断られたが、キツネはあきらめることなく、人間が好きそうな他の良い物をいろいろと提案し続け、最後に「それならいいよ」と続くような長い歌だったのではないだろうか。
これらは仮説にすぎないが、他の類似の遊び歌・わらべうたと比較しても、ある程度説得力のある仮説であると筆者は信じている。今後の更なる検証が必要だ。
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