音戸の舟唄 おんどのふなうた

平清盛の伝説が残る広島県呉市・音戸の瀬戸の櫓漕ぎ唄

『音戸の舟唄(おんどのふなうた)』は、広島県呉市音戸町を発祥とする舟唄(櫓漕ぎ唄)。昭和30年代に現在知られる歌詞や節回しに整えられた。「アー ドッコイー ドッコイ」の囃子ことばが特徴的。

古関裕而(こせき ゆうじ)作曲の昭和歌謡『船頭可愛いや』と歌詞の関連性が見られるのが興味深い。

音戸大橋と音戸渡船

写真:音戸大橋と音戸渡船(出典:Wikipedia)

呉市の本州と倉橋島の間の海峡は「音戸の瀬戸(おんどのせと)」と呼ばれ、広島湾から安芸灘へ抜ける最短航路として船の通行量が特に多い。

音戸の瀬戸は平清盛が開削したとする伝説も残されており、それに付随する数多くの逸話も残されている。

音戸の瀬戸公園からの展望

写真:音戸の瀬戸公園からの展望(出典:Wikipedia)

【YouTube】音戸の舟唄

歌詞の一例

アー ドッコイー ドッコイ

ヤーレー 船頭可愛や 音戸の瀬戸でヨー
アー ドッコイー ドッコイ
一丈五尺の ヤーレノ 艪(ろ)がしわるヨー
アー ドッコイー ドッコイ

(以下、囃子ことば省略)

船頭可愛いと 沖行く船に
瀬戸のあの娘の 袖濡らす

泣いてくれるな 出船の時にゃ
沖で艪櫂(ろかい)の手が渋る

浮いた鴎(かもめ)の 夫婦(めおと)の仲を
情け知らずの伝馬船(てんません)

安芸(あき)の宮島 廻れば七里
浦は七浦 七恵比寿

ここは音戸の瀬戸 清盛塚の
岩に渦潮 ドンとぶち当たる

歌詞の意味

一丈五尺(いちじょうごしゃく)とは、尺貫法における長さの単位。1丈は10尺。1尺は明治以降の日本では、メートルの33分の10の長さ。一丈五尺はつまり15尺であり、約4.545メートルとなる。

「艪(ろ)」および「艪櫂(ろかい)」とは、和船を漕こぐための木製の道具。

伝馬船(てんません)とは、本船と岸との間を往復して荷などの積み降ろしを行う木造の小型和船。

清盛塚(きよもりづか)

清盛塚(きよもりづか)とは、平清盛が音戸の瀬戸を開削したとする伝説において、1184年に供養のために建てられたとされる塚のこと。成功祈願の人柱の代わりに、一字一石の経石が海底に沈められたという。

清盛塚と音戸大橋

写真:清盛塚と音戸大橋(出典:呉観光協会Webサイト)

七浦七恵比寿

「浦は七浦七恵比寿」とは、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の末社である次の七浦神社のこと。

杉之浦神社(すぎのうら)
鷹巣浦神社(たかのすうら)
腰少浦神社(こしぼそうら)
青海苔浦神社(あおのりうら)
山白浜神社(やましろはま)
須屋浦神社(すやうら)
御床神社(みとこ)

厳島神社

写真:厳島神社(出典:Wikipedia)

清盛の日招き伝説

平清盛が音戸の瀬戸を開削したとする言い伝えには、それに付随したいくつかの伝説が残されている。中でも「清盛の日招き伝説」が特に有名。

清盛による音戸の瀬戸の工事は大規模なものとなり、連日数千人規模で行われ、莫大な費用を要した。

当時の技術では困難を極める工事だったが、なんとかあと少しで完成というところまでこぎつけた。暗くなる前に完成しようとしたが、惜しくも日は沈み、観音山の影に隠れてしまった。

そこで清盛は山の小岩の上に立ち、金扇を広げて「かえせ、もどせ」と叫んだ。すると、瞬く間に日が再び昇り、まもなく音戸の瀬戸が完成したという。

写真:NHK大河ドラマ「平清盛」DVD 主演:松山ケンイチ

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