笑点のテーマ 原曲の歌詞 名前の由来
当時の人気司会者・前田武彦が作詞を担当した「笑点」オープニング曲
『笑点のテーマ』は、演芸バラエティ番組「笑点(しょうてん)」において、1969年(昭和44年)11月から導入された番組テーマ曲。
当初は歌詞があり、当時の司会者・前田武彦が作詞を担当した(詳細は後述)。
作曲は、『上を向いて歩こう』、『明日があるさ』などを手がけた中村八大(はちだい)。
このページでは、『笑点のテーマ』の歌詞と当時の動画、それ以前の初代テーマ曲『笑点音頭』、そして番組名「笑点」の由来となったドラマ「氷点」について、簡単にまとめてみたい。
表紙写真:「笑点」大研究 完全保存版
【YouTube】 笑点のテーマ 現代版
歌詞について
まず、当時の「笑点」司会者・前田武彦が作詞を担当した『笑点のテーマ』歌詞を次のとおり引用して、その内容を確認してみよう。
1.
ゲラゲラ笑って見るテレビ
ドキドキしながら見るテレビ
メソメソ涙で見るテレビいろんなテレビがあるけれど
同じ見るなら笑わにゃ損損
笑う点ならそのものズバリそれはご存じ それはご存じ
笑点だよ♪2.
ゴロゴロしながら見るテレビ
ハラハラしながら見るテレビ
イライラ怒って見るテレビいろんなテレビがあるけれど
同じ見るなら笑わにゃ損損
笑うポイントそのものズバリそれは天下の それは天下の
笑点だよ♪
作詞した前田武彦(まえだ たけひこ)、通称「マエタケ」は、それまで台本を読み上げる形式が一般的だった放送司会に「フリートーク」「楽屋オチ」「世間話」といった手法を持ち込み、最盛期にはその毒舌と絶妙な話術から「フリートークの天才」と呼ばれた名司会者。
笑点とほぼ同時期にスタートしたバラエティ番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」でも人気を博した。
作詞が本業ではないので(元々は放送作家)、『笑点のテーマ』の歌詞には全体的に若干素人っぽさが感じられるが、それが逆に親しみやすさにつながっているとも言える。また、人気司会者が作詞したという事実そのものに価値があったのだろう。
「笑わにゃ損損」の歌詞については、言うまでもなく徳島県の阿波踊りで歌われる「踊る阿呆にみる阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々♪」が元ネタ。
【YouTube】 笑点のテーマ 歌詞あり 再現
それにしても、一体なぜ歌詞ありの『笑点のテーマ』が使われなくなってしまったのだろうか?
これについてウィキペディアでは、次のように解説されている。よっぽど不評だったのだろう。
歌は前田と当時の大喜利メンバーらが担当したが、メンバーらの歌が下手だと視聴者からは不評だった
笑点音頭
『笑点のテーマ』以前には、『笑点音頭』というテーマ曲がオープニングに使われていた。『笑点音頭』は「笑点」に初めて用いれらたテーマ曲。1967年(昭和42年)1月29日の放送回から使用された。
【YouTube】笑点音頭
作詞は、「笑点」初代司会者の7代目立川談志。『笑点音頭』を歌っているのも立川談志本人。
作曲は、広島カープ応援歌『それ行けカープ 〜若き鯉たち〜』を手がけた宮崎尚志。
立川談志は「笑点」の初回放送から1969年11月2日まで司会を務め、立川談志の降板と同時に『笑点音頭』から『笑点のテーマ』へ切り替えられた。
ちなみに、『笑点音頭』のレコード・ジャケットにはジョークで「連続TVドラマ「笑点」主題歌」と記載されている。
これは「笑点」という番組名が、当時の大人気ドラマ「氷点」をもじって名づけられたことに大きく関係している。
氷点
「氷点」(ひょうてん)は、三浦綾子の小説を原作とするテレビドラマ。1966年1月から4月まで放送され、平均30%以上の視聴率を記録。最終回の視聴率は42.7%に達する大ヒットドラマとなった。
ドラマ「氷点」が放送される時間帯には、町から人がいなくなる、とさえ言われるほどの社会現象的な人気ぶりだった。
表紙写真:氷点(上) (角川文庫)
テレビ番組「笑点」が放送開始されたのは、ドラマ「氷点」が驚異的な視聴率の最終回を迎えた翌月の1966年(昭和41年)5月のこと。
日本中がこのドラマの話題で持ち切りだった頃にスタートしたテレビ番組「笑点」の番組名が、ドラマ「氷点」をもじったものであることは想像に難くないだろう。
作曲者の代表曲
- 上を向いて歩こう
- 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
- 明日があるさ
- 明日があるさ 明日がある 若い僕には 夢がある
- 遠くへ行きたい
- 作詞:永六輔(えい ろくすけ)/作曲:中村八大(はちだい)
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