ウィリアム・ウォレス
スコットランドの英雄/Sir William Wallace(1272-1305)
1297年、後にスコットランドの英雄と讃えられるウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace/1272-1305)が歴史上に登場する。
ウォレスの生涯は、アカデミー賞5部門を受賞した1995年のアメリカ映画『ブレイブハート Braveheart』(主演・監督:メル・ギブソン)で描かれ世界的に知名度を高めた(大部分がフィクション)。
写真:ウィリアム・ウォレス像(出典:Wikipedia)
イングランド支配への抵抗
11世紀後半、ノルマンディー公ギヨーム2世によるイングランド征服、いわゆるノルマン・コンクエスト(The Norman Conquest of England)が起こると、ウィリアム1世らイングランド諸王はその延長としてスコットランドやウェールズにたびたび侵攻するようになった。
第5代イングランド王エドワード1世(在位:1272- 1307)は、イングランド王への忠誠を拒否したウェールズ公国の王族を1277年に滅ぼすと、1296年にはフランスと同盟を組みイングランド王に反旗を翻したスコットランド王を降伏させ、スコットランドを支配下に置いた。
イングランド支配への抵抗勢力として、ウォレスは仲間らと共にイングランド人の州長官ヘッセルリグを襲撃。以後20年近く続くスコットランド独立戦争の狼煙を上げた。
スコットランド独立戦争
ウォレスのもとに集まった民衆は反乱軍を組織、1297年9月にスターリング・ブリッジの戦い(Battle of Stirling Bridge)でイングランド軍を撃破した。
映画『ブレイブハート Braveheart』では、この戦いが大きくクローズアップされており、関連シーンの撮影に6週間が費やされたという。実際にはその名の通り橋を巡る攻防だったが、映画では平野での戦闘として描かれている。
名門貴族ロバート・ブルース(後のスコットランド王ロバート1世)は、戦いを指揮したウォレスの功績をたたえてナイトの爵位を授け、「スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官」の称号を与えた。
ウィリアム・ウォレスの死
しかし1298年7月のフォールカークの戦い(Battle of Falkirk)において、イングランド軍のロングボウを中心とする弓兵部隊(クロスボウ、投石器など)の前に大敗を喫すると状況は一変。反乱軍は一気に劣勢となり、スコットランド貴族側で講和の機運が高まった。
ウォレスはその後数年間にわたってゲリラ戦を展開し、イングランドへの徹底抗戦を続けたが、ついに1305年、スコットランド貴族の裏切りによりグラスゴー付近で生け捕りにされてしまう。身柄はロンドンへ移送され、イングランド史上最も残酷な刑の一つ、四つ裂きの刑(hanging, drawing, and quartering)で処刑された。
1297年スターリング・ブリッジの戦いの舞台。写真上のモニュメントはウォレスの活躍を讃えるウォレス・モニュメント(Wallace Monument)。
関連ページ
- スコットランド国歌
- 1960年代に結成されたスコットランドのフォークグループ「The Corries(ザ・コリーズ)」による楽曲