日本とオランダの友好関係

世界史・国際関係トピックス

1600年4月29日、オランダの商船リーフデ号(De Liefde)が現在の大分県臼杵市に漂着した。

わずかな生存者のうち、オランダ人のヤン・ヨーステンやイギリス人のウィリアム・アダムス(三浦按針)は徳川家康に気に入られ、後の江戸幕府における外交政策の相談役として取り立てられた。

ヤン・ヨーステンには屋敷が与えられ日本人と結婚。屋敷のあった場所は現在の八重洲(やえす)付近だが、この地名はヤン・ヨーステンの日本名「耶楊子(やようす)」に由来している。

写真:東京都中央区八重洲にあるヤン・ヨーステンとリーフデ号の彫像

1604年には、オランダ東インド会社との朱印船貿易が始まり、1641年の鎖国後も、長崎の出島でオランダとの貿易が継続した。鎖国後も江戸幕府と貿易ができた国は、ヨーロッパ諸国ではオランダのみであった。

世界大戦後の日本とオランダ

インドネシア独立の歴史のページでも述べたとおり、オランダの植民地であったインドネシアを日本軍が独立へ導いた大戦後は、日本とオランダの友好関係、特にオランダから日本に対する感情が一時期悪化した。

ただ、戦後の平和条約(サンフランシスコ講和条約)にはオランダも署名しているほか、オランダの干拓技術を学ぶため、多くの日本人技術者がオランダへ留学している。

秋田県にある湖・八郎潟(はちろうがた)では、オランダのヤンセン博士の技術指導の下で大規模な干拓事業が進められ、干拓地に新たな自治体「大潟村(おおがたむら)」が誕生した。

オランダ生まれのミッフィー

日本でも親しまれているウサギの「ミッフィー」は、オランダのデザイナー、ディック・ブルーナが描いた絵本に登場するキャラクター。

「ミッフィー」はオランダ語ではナインチェ・プラウス(Nijntje Pluis)。初期のミッフィー(ナインチェ)は耳が横向きだったが、1963年に尖った耳が立ったデザインに改定され、その後徐々に耳やデザイン全体が丸みを帯びた優しい印象のキャラクターになった。

2000年には、KLMオランダ航空が日蘭友好400年記念として、客室乗務員の制服を着たミッフィーのぬいぐるみを機内販売した。

オランダの街並みを再現したハウステンボス

オランダの街並みを再現したオランダ・テーマパーク「ハウステンボス」も日本とオランダの友好関係を示す一例と言えるだろう。

一時期は閉鎖の危機にも追い込まれたが、大手旅行代理店エイチ・アイ・エス(H.I.S.)や西日本鉄道、JR九州などの支援を受けて復活。

イルミネーションやプロジェクション・マッピング、ハウステンボス歌劇学院の開設など、新たなる魅力づくりに意欲的に取り組んでいる。

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