鳥の歌(カザルス)
El Cant dels Ocells

カザルスのチェロ演奏で有名なカタルーニャ民謡

カザルス(パブロ) コンプリート盤

『鳥の歌 El Cant dels Ocells』は、カザルスの編曲・チェロ演奏で有名なスペイン・カタルーニャ(カタロニア)民謡。

原曲は、カザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロル。歌詞では、キリスト聖誕を祝うため鳥達が集い歌う様子が描写されている。

カタルーニャ語(カタロニア語)の歌詞は非常に長いので、参考までに原曲の冒頭の歌詞と日本語訳(大意)を掲載した(YouTube動画の下)。

なお、他の有名なカタルーニャ民謡(カタロニア民謡)については、こちらの特集ページ「スペイン民謡 有名な歌曲・舞曲・クラシックギターの名曲」を適宜参照されたい。

【YouTube】カザルス演奏 鳥の歌 El Cant dels Ocells

【YouTube】Pau Casals - El cant dels ocells (at the White House)

歌詞(冒頭の一節)・日本語訳(大意)

En veure despuntar
el major lluminar
en la nit més ditxosa,
els ocellets cantant,
a feste jar-lo van
amb sa veu melindrosa.

闇夜に輝く神の光
鳥達は集い 祝いの歌を捧げる

スペイン内戦勃発 禁止されたカタルーニャ語

1936年に勃発したスペイン内戦の結果、フランシスコ・フランコ将軍が政権を握った。フランコ政権下では、カザルスの郷土カタルーニャの言語、すなわちカタルーニャ語の公の場での使用が禁止され、カタルーニャ愛国主義と結びつく活動も禁止された。

カザルスは1939年にフランスへ亡命。他にも、「7つのスペイン民謡」で知られるファリャはアルゼンチンへ亡命したほか、「13のスペイン古謡」で知られるスペインの詩人ロルカは内戦で命を落としている。ピカソの絵画「ゲルニカ」は、スペイン内戦時を受けて1937年に描かれた作品。

なお、カタルーニャ語の自由な使用が認められたのは、フランシスコ・フランコが83歳で病没した1975年以降、具体的には1978年に制定されたスペイン新憲法に基づき、新たに定められたカタルーニャ自治憲章において、カタルーニャ語がカタルーニャ自治州の公用語とされた後のことであった。

1971年 国連本部での伝説的スピーチ

20世紀最大のチェリスト(チェロ奏者)との名声を獲得していたカザルスが94歳を迎えていた1971年10月24日、国連の日を祝う演奏会がニューヨーク国連本部にて開催された。

このコンサートでは、カザルスが作曲した『国際連合への賛歌』が自身の指揮で初演され、当時の国連事務総長からカザルスへ国連平和賞が贈られた。

【YouTube】1971年10月24日 国連総会でのカザルスのスピーチと演奏

演奏会は続き、最後にカザルスの国連賛歌が演奏されると、指揮台をおりたカザルスは、国連総会の大勢の参加者に向かって静かに語り始めた。

「私は長い間、公の場でチェロを演奏していませんでしたが、また演奏すべきときが来たと感じています。」

運ばれてきたカザルス愛用のチェロを手にすると、彼はさらに続けた。

「カタロニアの民謡から『鳥の歌 El Cant dels Ocells』という曲を演奏しようと思います。鳥たちはこう歌います。『Peace, Peace, Peace(平和、平和、平和)』と。そのメロディは、バッハ、ベートーベンそして全ての偉人たちが賞賛し、愛したもの。そしてわたしの民族、カタルーニャの魂なのです。」

バッハ:管弦楽組曲(全曲)
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) 演奏:カザルス(パブロ)
もはや説明の必要のない名盤。バッハの「無伴奏」の永遠の名演というだけでなく、チェロという楽器の価値そのものを高め、その後のチェロ奏者全てに多大な影響を与えた、計り知れない意義を持つ録音

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